topreviews[森の奥の梨の木 奥村梨沙/愛知]
森の奥の梨の木 奥村梨沙


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自分LOVE〜巣作りをする少女〜
TEXT 野田利也

 
 
 
 
舛田光洋氏が提唱する「そうじ力」によると、部屋の有様はその住人の心の中を反映するそうだ。
なるほど、散らかって汚れた部屋、きれいに整頓された部屋、どちらの部屋の住人の心がどうであるかは容易に想像できる。
air's boxから送られてきた、奥村梨沙の個展の案内メール。そこに添付されていたヴィジュアルは、奥村の部屋の様子である。
積み重ねられた紙袋、洋服、ぬいぐるみ、玩具。コンピューターが置かれているであろうラックもそれらが占拠し、かろうじてモニターの姿は見えるがキーボートやマウスは埋没しており、どうやって操作するのだろう?というどうでもよい心配をしてしまうほどである。「足の踏み場がない」とは、まさにこのことであろう。そして、そこに今回の展示をイメージさせる毛糸が垂れ下がっている。それでも作家によると「この撮影のために掃除をして、ゴミ袋6枚分のゴミが出た」と言うから驚きである。
先述した、部屋の有様はその住人の心の中を反映するという意見に反対はしないが、散らかった部屋の住人をネガティブなイメージでひとくくりすのは、いかがなものかと思う。まして奥村はアーティストである。むしろ私は、この奥村の部屋の有様を一枚の絵画的な作品だと言いたい。この部屋に積み重ねられたモノどもは、キャンバスに刻まれた一筆一筆のようである。まるでジャクソン・ポロックが、床に置いた画布に絵の具をドロッピングさせたかのようだ。積み重なったその一つ一つには、奥村の思い入れがあるだろうから、色合いも偶然と必然が折り重なり、説得力のある画面を構成していると言える。
実際の展示は、このビジュアルが3次元に立ち上がったかのようである。
力無く、床へ向かってだらりと垂れ下がった色とりどりの毛糸が、空間を埋め尽くしている。そして、その無数の先端は、まだ毛糸玉のまま床にころがっている。展覧会期間中、奥村がそれを張り巡らされた毛糸の空間へ投げ入れ、さらに密な空間を形成していく。まさにタイトル「森の奥の梨の木」のとおり森(よりも高密度な密林)が出来上がっていくかのようである。カラフルな毛糸の森へ目を凝らせば、この作業の間に奥村が飲み食いしたカップ麺の容器やペットボトル、一緒に過ごしたお気に入りのぬいぐるみなどが絡み、吊り下がっている。
それはまるで、自分の部屋の再現しているかのようであるし、巣作りのようにも見える。
もう一度タイトルを見てみよう。「森の奥の梨の木」奥、梨ともに作家自身の名前に使われていることがわかる。梨の木とは、まさしく奥村自身のことなのである。そして「森の奥」は自身の部屋、空間のこと言っているに違いない。
奥村の興味はどこまでも自分自身に向いている。
別の部屋に展示された幼児用の椅子が、そのことをより明快に表している。その椅子は、奥村が幼児期に実際に使っていたものであるが、座るための機能以外に重要な役割があった。それは奥村の家庭の中で唯一、自由にシールを貼ることが許されたアイテムであったということである。誰しも持った経験があるでしょう。雑誌などの付録についていたシールを、所構わず貼りたいという衝動。柱やタンスに貼られたシールやその痕跡は、否応なしにその家の歴史を物語り、ノスタルジーを喚起させる。それが奥村の場合は、このひとつの椅子に集約されている。名もない少女コミックのキャラクター、スーパーマリオ、クレヨンしんちゃん、セーラームーン、ポケットモンスター、三ヶ日みかちゃん、様々なシールでカスタマイズされたこの椅子を見るとき、奥村がどんなカルチャーを通りすぎ、蓄積してきたがわかる。この椅子は、彼女セルフポートレートと言っていいだろう。
ポップでキッチュでありながら、どことなくイノセントなのがこれらの作品の最大の魅力だ。
しかしそれは、椅子に貼られたシールのキャラクターたちの物語を、リアルに体現してきた(まだ少女であったころから遠くない)世代だからこそ、無意識に実現できたものかもしれない。
今後、彼女自身の成熟が作品に与える影響を注視したいと思う。

森の奥の梨の木 奥村梨沙

air's box(愛知県小牧市)
2007年1月19日(金)〜1月29日(月)
 
著者プロフィールや、近況など。

野田利也(のだとしや)

1972年生まれ。名古屋芸術大学美術学部デザイン科卒業。




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