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1/浜口陽三《水差しとぶどうとレモン》[+zoom] |
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銅板の上で踊る「モチーフ」と「線」と「色」
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藤田千彩
「銅版画」というジャンルがある。
私が銅版画について知ったのは、恥ずかしい話だが、「武蔵野市立吉祥寺美術館」の取材で行った数年前だった。
この美術館は公立なのにいろいろと面白い取り組みをしていた。
駅から近いこと、月に一度しか休館日がないこと、入館料が100円であること。
私がとりわけびっくりしたのは銅版画をどうやって作るかを知ることができる展示がなされていたことだった。
キリのようなとがった道具で銅版にキズをつける要領で対象を描いていく。
印刷と同じで、同じ絵柄に違う色を重ねていくこと。
技法の細かさに驚いた。
線の一本一本に作家の息吹、そして表現される対象の息づかいを感じた。
そして常設展示室の名前にもなっている「浜口陽三」の名前も初めて知った。
今回訪れたのは浜口陽三の名前が冠されているスペースである。
作家にとって対象はどのような意味を為すのか分からない。
浜口が使う果物など静物のモチーフは、かわいいと一言で片付けるには惜しい、普遍的な対象物である。
くわえて今回は現在20〜30代の若手作家の展覧会である。
時代を切り抜いているのか、自身を表現しているのか。
どきどきしながらドアを開け、歩を進める。
浜口の作品(画像1)が並ぶ1階、その端に今回の4人の若手作家の作品があった。
けして負けず、巨匠の作品と肩を並べる彼らの息を私も吸った。
そしてらせん階段を下り、地下へと足を運ぶ。
重野克明(画像2)はイラストみたいにサラサラっと描いたものを銅版画にしている。
インタビューしたこともあるが、本当はまじめな人だ。
まじめに考え、生きているからこそ、面白く表現しようとするのかもしれない。
モノクロの、それもぼんやりと、水墨画のような感じがうまい。
くすっと笑わせてくれることで、冷たくなった冬の心がほぐれていった。
前川知美(画像3)は飛行機をとらえる作品で知られている。
野心的なモチーフは銅版画という技法でも生きていた。
エンジンやプロペラの音が聞こえそうな飛行機やヘリコプター。
写真ではなく、銅版画にした理由を想う。
遠いけど確実にある“記憶”を掘り起こさせるような気がする。
しばらく座って眺めてみた。
動かないのは分かっているが、私の目には飛んでいったように見えた。
ペインターとして、私は認識していた杉戸洋(画像4)。
カーテンを表現した作品は、杉戸の絵画作品と近しい。
もとの銅版も置いてあった。
プリントされたしゃー、しゃーっと引かれた線。
いくら眺めても、どういう角度で見つめても、銅板上にその線はよく見えなかった。
これが銅版画の魅力なのかもしれない。
最後に堂々とあったのは入江明日香(画像5)。
うすぼんやりした銅版画のイメージが払拭される色だった。
まるでアクリル絵具で筆を滑らかに走らせたよう。
自由、ポジティブ、明るさ。
暗い事件ばかりの多い昨今だけど、ひとつ新しい光を見た気がした。
技法はひとつの術(すべ)に過ぎないのかもしれない。
しかし、銅版画であることにこだわり、銅版画で表現すること。
絵具や筆ではない表現で、美しさ、繊細さを求めた作家たちの饗宴。
これからの銅版画に期待をし、満足できる展覧会だった。 |
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