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川見俊は、新たな作品を発表するたびに「今回はこうきたか!」と私をうならせ、彼の日常における発見を共有させてくれる造形作家のひとりだ。立体、平面、映像などの表現方法を駆使して、その時その時に彼が関心を持つ対象を作品化してきた川見。そのため、作家の興味や思考のあり方に連続性が見えにくく感じる面もあった。今回の個展では、彼が「おもしろい」「ちょっと変」と感じる日常の断片を積み重ねることをとおして自分自身を捉えようとしていることが実感できたのと同時に、こうした制作姿勢が作品の連続性を見えにくくしていたことに気づくことができた。
展示スペースでまず目を引く、鮮やかな色彩ではっきりと民家が描かれた〈地方の家〉シリーズ。一見スタイリッシュだが、見ているうちに違和感を覚え、描かれている家がなんだか変であることに気がつく。なんと、その民家の外壁は黄色と茶色の縦縞なのだ(家主は阪神ファンなのだろうか?)。ほかには、塗り残しが目立つピンクの外壁の家も(途中でやめてしまったのか?)。これらのおかしな家は、川見が旅行中に見つけた実在するものだという。さらによく見ると、このシリーズはキャンバスに絵の具でではなく、ベニヤを組んだものにペンキで描かれていた。「木にペンキというのが、これらの家と同じでおもしろいと思った」と彼が語るように、木にペンキを塗った独特のテカリが、描かれた家の壁の質感を彷彿させる。木をペンキで塗装するという、これらの家の壁と同じ方法で民家そのものを描くことにより、川見は彼が発見した民家と一般的な家とのズレを増幅させているのだ。
反対側の壁を埋め尽くしていた《ドローイング》には、さらに意表を衝かれた。というのは、描かれているのは円空仏や牛乳の紙パックを切り開いたさま、髭剃り機といった、川見がいま興味を持つものや彼のささやかな日常の断片であるものの、その支持体が紙やキャンバスといった一般的な材料ではなかったからだ。見覚えがあるそれは、てっきりお掃除シートかと思いきや犬のおしっこシートだった。ここでも通常は絵を描くことのない物にあえて絵を描くことによって、常識や一般的な絵画の概念とのズレを作り出している。
このように日常の事象の一般的概念や記号性とのズレを日々発見し、それを作品として提示する川見。そこには、自分の世界の見え方が他者と異なることを誇示しようとか、見る者の予想を外してやろうとか、ましてやアートの概念を転覆させようとか、そんな意思は一切感じられない。彼が見つけた世界の小さなズレを提示し集積することは、彼の退屈な日常に風穴を開け、そこから自分自身を捉えようとする真摯な試みなのである。そう考えると、連続性がないように見えていた作品には彼の内面世界を表現したものはなく、身近な外界の事象を捉えたものである点で一貫しているのがわかる。そして、自分を捉えるためにその時その時の興味や関心に正直であろうとすればするほど、作品に連続性が希薄になるのも納得がいく。そんな作品を見ながら、彼の小さな発見を共有させてもらううちに、いま自分が生きているこの世界もまんざら退屈でもないという気がしてきた。 |
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《地方の家14》木製パネルに水性ペンキ 2006年 |
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《ドローイング》ペットシートに水性ペンキなど 2006年 |
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《ポートフォリオのスケッチ》紙に色鉛筆、ファイル、木材 2006年[+zoom] |
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