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[島本正哉 写真展 “サンクチュアリ”/東京]
島本正哉 写真展 “サンクチュアリ”
sanctuary
都市の内陣としての廃虚
島本正哉「サンクチュアリ」
TEXT 萬翔子
入り口の壁にはウィリアム・フォークナーの小説「サンクチュアリ」の文章が掲げられていた。
正面の壁には廃虚然とした部屋の窓を映した写真がテンポ良くかけられている。屋内から真正面の窓と外の風景を撮影した写真。写し出された室内は空っぽで暗い。見事に生い茂った樹木が太陽の光を遮ってしまっているのだ。窓ガラスは粉砕されていて、そこから静かにゆっくりと、自然という無秩序が室内に侵入しつつあるようにも見える。
あるいは屋外の写真。アンテナのような構造物に絡まって繁茂する蔓性植物の鬱蒼とした草原と、高く開けた空の対照に、思わず無国籍の「どこにも存在しない場所」のような風景を想像してしまう。
スペースの一角には、大層古い絵本が何冊が壁によっかかっていて、手にとるとかび臭い。剥離が起きはじめている表紙をめくると、スイスの観光地の写真や絵が現れた。
2006年6月3日から16日までギャラリー・ア−キペラゴで開催された島本正哉展覧会には、このような清閑で瀟洒な、同時にほんのわずかな無気味さをたたえた作品が展開していた。
この写真は、実は都内で撮影されたものだとアーティストは言う。そのとある施設は、使用終了後も手付かずのまま放置されていた。人々が日常の生活を営む都市のすぐ傍らに、誰も近寄らず、かといって取り壊されもせず、荒れるに任せる区画がぽつんと存在している。それは人口と建造物による凄まじい密度の都市に穿たれた空白である。人々の動線からも、現行の秩序からも完全に乖離したその空間は、サンクチュアリを彷佛とさせる。
展覧会のタイトルとなった言葉、サンクチュアリ。中世ヨーロッパでは、それは主に聖堂や墓地などの聖なる場所を指した。法律や秩序の及ばないその領域は、時として庇護を求める人々や犯罪者が駆け込む待避所でもあった。一切が犯すことのできないアサイラム、聖なる場所というのは、穏やかさと混乱が、同時に共存する場でもあるようだ。
「群島」という名をもつこのギャラリーは、9人の有志のアーティストたちによって運営されていて、活動を始めて3年目に至る。都心に現れたこの小さなスペースは、9人によって独自の温度と雰囲気を保つ強固な空間として維持されている。どうやらアーティストはこの空間に、彼自身がこっそり採取した「サンクチュアリ」を、アメリカ南部の美しい牧歌的な自然を背景に繰り広げられる狂気と暴力を綴ったフォークナーの小説の一節ともに開封してしまったようだ。
廃棄物同然の絵本たちは、実はアーティストが現場で偶然見つけてひっそりと持ち込んだもの。長い時の残り香と謎めいた経緯を宿す絵本は、このスペースが束の間のサンクチュアリとして発動するための聖遺物として機能していた。
島本正哉 写真展 “サンクチュアリ”
gallery Archipelago
(東京都中央区)
2006年6月3日〜6月16日
著者のプロフィールや、近況など。
萬翔子(よろずしょうこ)
1983年福井県生まれ
2006年愛知県立芸術大学卒業
現在多摩美術大学大学院所属
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