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キラキラジェネレーション 船井美佐 nirvana -shineplexus-
《nirvana -shineplexus-》アクリル、2006年

生きているリアリティをつかむために
TEXT 田中由紀子

 
《nirvana -shineplexus-》部分
 
 
《micro cosmos》アクリルブロック、エナメル、フェイクファー、2005年
 
 
《micro cosmos》アクリルブロック、エナメル、フェイクファー、2005年
長く伸びた足の爪や傷痕にできかけたかさぶたを見つけて、私の身体が日々変化し続けていることをふと感じることがある。普段の生活の中で自分が生きていると実感する場面が乏しいせいか、こんなささやかな事象でさえ、いまここで自分が生きている証のように思える。日本画出身の若手アーティスト4人によるリレー方式の個展「キラキラジェネレーション」第3弾の船井美佐展を見て感じたのは、船井が描くことにより自分が生きているリアリティをつかもうとするひとりの現代人であり、さらに作品を見る者とそのリアリティを共有しようとしていることだ。
ギャラリーの白い壁一面に赤い線で描かれたウォールペインティング、《nirvana -shineplexus-》(2006年)。しばらく見ていると、猫や鯉、須弥山、睡蓮といったさまざまな形が見えてくる。その反面、いくら見ていても何が描かれているのかわからない部分もあり、それらがひとつの作品に混在している。これはほかの作品にもいえることだ。
船井によれば、その不可解な形態は細胞だという。「コンクリートの壁に囲まれたマンションで生まれ育ち、毎日アスファルトの道を歩き、地下鉄に乗って出かけ、お腹がすけばコンビニで何か買って食べる。こうした都会生活を続けていると自然を感じる場面がなく、生きているリアリティが感じられない」。だから船井は、描くことをとおして細胞にまみれるような体験をしたいのだという。まだ何の形にもならないドロドロとした細胞のかたまりは、生物や植物の原初的な姿であり、究極の自然だからだろう。
このとき作品を描く船井に留まらず、作品を見る人がこの細胞の中を漂う体験をするためには、絵画空間に取り込まれるような構造が必要になる。とはいうものの、船井の作品は1色の線で描かれており、平面的で一見奥行きが感じられない。
ここで注目しなければならないのは、作品を見る私たちの視線の動きである。さらに、船井が描いている線が物と物との関係性を表すきわであることも忘れてはならない。物と物とのきわである線を見る者の視線がまたぐことにより、その直前に見ていた部分より奥へ、もしくは手前にと視線が絵画空間を行き交う。つまり、絵の中に作られた三次元の空間を一貫して見通すのではなく、奥へ手前へと行ったり来たりすることをとおして、絵画空間の途中途中に視線が留まることになるのである。このように画面を行き来する視線の動きが、見る人にも細胞の間を漂うような感覚を与えるのではないだろうか。
 船井の作品は、こうした視線の動きを媒介に生きているリアリティを共有することによって、描き手と見る側の両者に生きる力を生みだす可能性を秘めている。それはその作品が、生きていることを実感しにくい現代に生きる彼女により、伝統的な日本画からモチーフや平面性を借りつつ生みだされる、日本画でも洋画でもない新しい絵画だからにほかならない。

展示風景


キラキラジェネレーション
船井美佐 nirvana -shineplexus-


ギャラリーレイ(名古屋市千種区)
2006年7月1日〜7月9日
 
著者のプロフィールや、近況など。

田中由紀子(たなかゆきこ)

編集関係の仕事をしながらコツコツ評論などを書いてます。
http://www.geocities.jp/a_rtholic/




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