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森太三展 「Skymountains」

静かの海は静寂に満ちる
TEXT 草木マリ

数ヶ月前に旅した山口県萩市の時化た海は、鉛色の砂漠のようだった。
船は深く谷を下り、丘を駆けのぼる。風は時折その山の先を激しく吹き散らすが、窓の外のその景色は見知らぬ別世界のようで、波間に揺さぶられ続ける自分にさへ現実味がない。『火星年代記』にでてきた火星の帆船は、こんなふうに砂漠を行くのかもしれない。静かに、音もなく。
それは古い物語の、分厚い本の頁をめくるような、不思議で不安で、わくわくするような体験だった。

森太三展 「Skymountains」は11階建てマンションの最上階、GALLERYwks.で開かれた。
小さなエレベーターの扉が開く。密室から解放されて外気に触れる。
ギャラリーへ続く廊下からは、簡単な柵はあるものの眼下には大阪・西天満の街を見下ろすことができる。ビル風が吹き上げる。少し怖い。
ギャラリースペースには、床面を埋めつくす大小の起伏。ごく淡い灰色をしている。そしてその面積の半分ほどに薄い灯りが落ち、起伏はささやかに影を落とす。そこにある時間も、空間も、そこにいるものの心の中も、静かでぽっかりと、心地よい空腹感にみたされる。

街を見下ろす天空の神々の山。
あるいは、底に街を隠した大海。遠い星の殺風景な地表。
どちらかといえば私には、底の知れない深い海の、音のない波を見るようだった。
曇天の水のおもてを歩く巨人のように、月面の小石を散らす宇宙飛行士のように、私の薄い影もその表面をゆっくりと這う。
小さな丘、小高い山、細い谷、枯れた河川、深い谷、そのひとつひとつを森の指先が生みだしていく。永いその時間のすべてをとどめて。彼の思いが形成する、言葉どおりの〈心象風景〉だ。
遠い思い出、昨日の言葉、ここにある感覚、明日の陽光、先の小さな夢のあれこれ。その時、森に打ちよせる様々の思いが、指先からしたたり、この土地をつくりだしたーー神話に似た、物語の始まりのように。

耳に痛いような静寂ではなく、ざわめきのように豊かな静けさ。
水面の下には、作者の様々な心の揺らぎがひしめいていて、その中を記憶や夢の魚が1匹、2匹、あるいは群れをなして過ぎてはまた現れる。
その上を私の思考もゆらゆらとたゆたい、小さな旅路を行くようだ。
なんでもないといえばなんでもない、ただ起伏があるだけ。
しかしその上を、羽のように軽い静寂が隙間なく満たしている。
静けさがさざ波のようにおしよせては、また音もなくひいてゆく。
静かの海。
殺伐たる月面の砂漠にそう名付けたのは、レンズの向こうに、こんな風景を見たからなのかもしれない。

森はこれまで、折り紙や染めあげた雑誌の紙片を使った作品を発表してきた。舟や鶴に折ったもの、細い短冊に切り刻んだもの、それらの集積によるインスタレーションで、繊細さと、費やされた穏やかな時間、そこにあった指先の暖かみを感じるものばかりだ。
今回の作品は、その穏やかさや指先のぬくもりを残しつつも、これまでとは少し違ったものとなっていた。素材は紙粘土とペンキ。素材を変えつつもその質感や自分の手先との関係、付き合い方はやんわりと引き継がれている。
素材や表現、過去、未来、ほか様々なものとの付き合い方も、彼にとってはこの波の、山々の起伏のようにゆるやかで、中心も始まりも終わりもなく、ざわざわとし、けれど静かに、優しい生命力を孕んだものなのだろう。気負いのないおおらかな変容。次に出会うのが、とても楽しみ。

森太三展 「Skymountains」

GALLERYwks.(大阪)
2006年5月13日〜6月3日
 
著者プロフィールや、近況など。

草木マリ(くさきまり)

1976年京都府生まれ。
1999年成安造形大学造形学部卒業。
大阪成蹊大学芸術学部綜合芸術研究センター勤務を経て、
4月から無軌道生活が始まります。




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