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植田ひとみ展―ゲンショーの連続―
《アQ》(2006年)oil on canvas

作家と見る者が共有する、それぞれの現象
TEXT 田中由紀子

 
《ミラクルピース》(2006年)oil on canvas
 
 
《who killed bambi》(2006年)oil on canvas
   
 私たちが同じものを同じ日の同じ時刻に同じ場所から見ていたとしても、同じようにそれが見えているとは限らない。ということは、私たちが認識している自分を取り巻く現実とは、私たちに見えている現象の連続にすぎないのではないだろうか。植田ひとみの個展「ゲンショーの連続」は、作品をとおしてそのことをまざまざと感じさせてくれるものだった。
 DMを目にしたときから気になっていた《アQ》(2006年)。この作品には、不自然な体勢の女性の腰に得体の知れない何かがまとわりつくさまが描かれている。女性にぶら下がっているものは何なのか? そして、これはどういう場面を描いたものなのか? そのことがずっと気にかかっていた。間近で見てみると、その「何か」は動物のようではあるが、何なのかはっきりわからない。動物だとしても、なぜ女性にしがみついているのだろう?
 植田によるとそれはナマケモノであり、この作品に描かれているのは、彼女が中国の作家・魯迅による短編小説『阿Q正伝』について考えていたときに、ふと脳裏に浮かんだイメージなのだという。『阿Q正伝』とナマケモノ? なぜ植田の頭の中で『阿Q正伝』とナマケモノが結びついたのか知りたいところではあったが、「ゲンショーの連続」というこの個展のタイトルを思い出し、彼女の言葉のまま受け入れることにした。それがそのとき植田に見えていた現象であるという事実は、理屈では説明することができないからだ。
 《アQ》が植田に見えていた現象のひとつならば、《ミラクルピース》(2006年)はそれとは逆に、作品と向かい合う私たちひとりひとりにそれぞれの現象を見せてくれる作品だった。というのは、この作品を見るうちに「うちも弟が生まれるまではこんな感じだったな」と、作品に描かれたさまと自分が子供の頃の様子が目の中で重なっていくのを感じたからだが、これは私に限ったことではあるまい。
 この作品には子供と、その子の手元にそっと手を添えて箸の持ち方を直す母親、そして股引姿でビールを飲みくつろぐ父親という、平凡でどこにでもある日常のひとコマが描かれている。この作品をとおして鑑賞者に見えているのは、それぞれの記憶にある子供の頃の食事風景なのではないか。ではなぜ作品を見ていると、見る者の目の中にその記憶が再生されるのか?
 それには、植田が親子の食事風景という多くの人と共有しやすいイメージを扱っていることに加えて、画面を薄塗りにしあまり描き込んでいない点が関係している。一見、もう少し描いてもよさそうにも思えるその止めどきの見極めが、植田がこの作品を自分の作品として提示できるギリギリの際に留めている。そのことは、彼女と作品と見る者の間にニュートラルな関係を生み出す。したがって、この作品を見る人はニュートラルな位置にある作品を自分の方に引き寄せ、その描き込みのなさを自分自身の記憶で補い、それぞれのイメージを立ち上げることができる。ゆえにそこに描かれるイメージは、彼女自身の記憶や願望を越えて、見る側と共有できるイメージとなりうるのだ。その意味で、この作品は植田に見えている現象であると同時に、見る者それぞれが見ている現象といえるのではないか。
 今回発表された作品の中ではこの作品は異彩を放つものであり、まだ実験段階にあるものなのかもしれないが、植田の今後の展開を期待させる一枚といえよう。


《プラトンに聞け》(2006年)oil on canvas
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《たのしい相談》(2006年)oil on canvas
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《paradox》(2006年)oil on canvas
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植田ひとみ展―ゲンショーの連続―

エビスアートラボ(名古屋市中区)
2006年3月30日〜4月11日
 
著者のプロフィールや、近況など。

田中由紀子(たなかゆきこ)

編集関係の仕事をしながらコツコツ評論などを書いてます。
http://www.geocities.jp/a_rtholic/




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