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特別展示「鵜飼美紀+辻和美 −光のかけら−」


心を照らす光
TEXT 横永匡史

大きな窓のある部屋は、人を開放的な気分にさせる。
群馬県立館林美術館の展示室1は、壁面や天井が円弧を描くように設計されていて、そのうち花壇に面した壁面が一面のガラス窓になっている。
その窓から、花壇や敷地一面の緑の芝生、そしてその上に大きく広がる青い空を見、さしこむ自然の光を浴びると、自分の心が外界に向けて開かれていくのを感じる。
そんな展示室の中で、鵜飼美紀と辻和美、2人のガラス作品に出会った。

鵜飼美紀《無題》 2005年
鵜飼美紀
〜手のひらのぬくもり〜


展示室に入り、向かって右側には、水を注がれた多数のガラスの器が床にちりばめられている。
器には、水の中で一回り小さな器が逆さにかぶせられ、中には空気が少し閉じ込められている。
なぜ、器の中にもうひとつ器をかぶせるのか?
最初に見たときにはその意図がよくわからなかったが、近づいてよく見ているうちに、あることに気がついた。
こうすることにより、器に映りこむ光が複雑に反射して、周囲の景色がきれいに映りこむ。
室内に設置されたひとつひとつの器が、まるで自らやわらかい光を発するかのような存在感を見せるのだ。
器は手のひらを合わせたくらいの大きさのものが使われ、その中に注がれた水はまるで手のひらですくった水のよう。
そこに映りこむ光はやわらかなぬくもりを感じさせ、それらが展示室の隅から放射状に広がる様を見ていると、僕の心もそうしたほのかなぬくもりに包まれるように感じる。

 
辻和美《居心地の良い部屋》2005年
辻和美
〜想いが涙になって〜


一方、展示室の反対側には、ガラスでできた多数のしずくが天井から吊り下げられている。
“涙”をイメージしてつくられたというこのしずくにはラスター彩が施され、表面に円く映り込む自分や周りの景色が淡い虹色の色彩を帯びる。
涙の雨の中へ入ると、静止した涙のしずくに囲まれ、時間が止まったような感覚を味わう。
そしてそのまま窓の方へと歩を進め、涙のしずくを窓を背にして見たとき、しずくに映りこむ景色はなお一層虹色が強まり、涙としての質感も強まる。まるで、周囲の景色が涙の中に溶け込んでいるかのようだ。
虹色の景色は、自分の心の中の景色をイメージさせ、それらが一つ一つの涙のしずくに溶け込んでいる様を見ていると、過去のいろいろな出来事が思い出され、僕はしばし物思いにふける。

 
感情を解き放つ空間

そして、2つの作品をひとつの視野に収めてみる。
そうすると、鵜飼美紀の作品が、まるで辻和美の作品であるしずくが地面にはねた跡のように見え、両者の作品がまるで一体のように見えてくる。
辻の作品の側から見ると、涙の雨が今まさに降りしきる中に身を置くように、鵜飼の作品の側から見ると、涙の雨が通り過ぎた後のように、見る位置によって、2つの作品はその印象を大きく変える。
そして、それと一緒に僕の感情も変化していくのがわかる。
まるで、実際にひとしきり泣いたあと、すっきりした気分になるように。

僕らは、日常の生活の中で、自分の感情を押さえながら生きている。
本当は笑いたいのに笑えなかったり、
本当は怒りたいのに怒れなかったり、
本当は声をあげて泣いてしまいたいのに泣けなかったり、
それは、他の人と協調し、この社会で生きていくために、必要なこと。
しかしその一方で、僕らはそうした抑圧から解放される場所、自分が自分でいられる場所を求める。

この展示室の中に身を置いていると、自分の心が、時間から、重力から、そして自分の身体からも解放されるように感じる。
自分の感情を、自然に表現できるような気がする。
ここは、自分の感情をあらゆるくびきから解き放つ空間。
そしてその中で、2人の作品はその一つ一つが光のかけらとなって、僕らの心を優しく照らすのだ。


特別展示
「鵜飼美紀+辻和美 −光のかけら−」


群馬県立館林美術館
2005年12月10日〜2006年4月2日
 
著者プロフィールや、近況など。

横永匡史(よこながただし)

1972年栃木県生まれ。
2002年の「とかち国際現代アート展『デメーテル』」を見て現代美術に興味を持つ。
現在は、故郷で働きながら、合間を見て美術館やギャラリーに通う日々。




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