
うつくしい法則
TEXT 草木マリ
火をたき、湯をわかし、それをかこって話をする。
その時間。
共に過ごすということ。
人類が遠い昔から愛してきた行為。

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フィボナッチ・タワー 黄金比の釜室(ふしつ)
(後に楊谷寺副住職により「浄竹庵」と命名) |
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京都府長岡京市は筍の産地としても有名で、市の西側の山麓には豊かな竹林がひろがっている。
その山奥に佇む「楊谷寺」。
ここでは秋毎「もみじまつり」が催され、なんとこの2日間に5000人が参拝と紅葉狩りに訪れる。
このお寺には「眼病に効く」湧き水があるということで、折しも目イボ(京都では「ものもらい」「めばちこ」のことをこう呼びます)持ちだった私は、勇ん
でこの「もみじまつり」へ潜入してまいりました。
といっても、一番のお目当ては、造形作家・日詰明男氏の作品。
2004年の「もみじまつり」で発表したフィボナッチ・トンネルに加え、今年は「釜室(ふしつ)」がお目見えするらしい。(どちらも長岡京の竹で制作)
先ほどから時折文中にあらわれる「フィボナッチ」。「フィボナッチ数列」って、みなさんご存知ですか?「黄金比」といわれれば…聞いたことのあるような
…でしょうか?植物の葉の出るパターンやひまわりの種の並びなどはこの数列…らしいです。…残念ながら、たし算もあやしい私には「よくわかる解説」がで
きないので、詳しくはネットや数学の書でご確認ください。(丁寧に話してくださった日詰さんには申し訳ないほどの理解っぷりですね…)
…とにかく、タワーもトンネルも、そして会期中たびたび演奏されたフィボナッチ・ケチャック(通称「タタケタケ」。今年は声明とのジャムセッションも
あったとか)も、この「フィボナッチ数列」が応用されているのです。
(詳しくは…日詰さんのサイトで!→http://homepage1.nifty.com/starcage/yokokuji/chashitsu_jp.html)
作品の説明をするには、私ではあまりに役不足。
なので、ここではおおまかな概要を記し、あとは私の「印象」をのみ…。
また、演奏やトンネルに関しては…書ききれず。あしからず「釜室」のみ書かせてください。
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釜室(内部)
薬缶のかわりに大鍋の吊るされることも。 |
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火を焚く日詰さん。
楊谷寺には2週間ほど滞在し、地域の方やお坊さん、学生さんなどと制作・演奏などをしてきた。 |
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茶室をイメージしてつくられたこのフィボナッチ・タワー、茶室のもつ「かしこまった」イメージを緩和するため「釜室」とあらためられたそうです。その名
のとおり、中では火を焚き、湯を沸かすことがでます。(竹の節を利用した竹カップでお酒を燗することも。竹酒っておいしいんですって)床は変形五角形。(日詰作品には五角形も重要な要素。やはりこれもサイトを参照してください…)床と壁は黒く塗られ、必要とあらば黒板と化しプチ寺子屋
にもなるとかならないとか…。
屋根の部分は長岡京産モウソウ竹、75個の部材がフィボナッチ数列により積み上げられ、釘やロープは使わず、竹と竹の杭だけで組まれている。その構造は
柔軟で、揺れに強い。強い風に吹かれると、全体がスウィングして力を去なしてしまうのだ。
機能的・構造的な魅力だけではなく、その姿はとても美しい。日詰氏曰く「意匠と構造の区別のない」建築なのだそうだ。
釜室の中から見上げると、二重螺旋とその隙間にのぞく紅葉。
そして何より私が気に入っているのは、ときおり虫や鳥が羽を休める気配があること。
中心には錆びた飯炊き釜を転用した囲炉裏があり、ここで火をたく。
てっぺんから吊るされた鍋の重みが、この建物をさらに安定させるという無駄のない造り。
上でも述べたように、私には数学的なもろもろはよくわからない。
それでも日詰さんの作品に惹かれてしまうのは、そこには「すべてのものをつなぐ法則」があると思うから。あるべきものが、あるべきかたちであるという幸
せ。
彼は「美術家」なのか。「建築家」?それとも「数学者」?そういった肩書きをつけてしまうのは、なんだかどれも落ち着かない。無意味にさえ感じてしまう。
世界に満ちた美しい法則をもとに生まれる、日詰さんの作品=塔、階段、都市計画、星籠、音楽。それから、彼の煎れてくれる自家焙煎コーヒー。数学、神
話、旅行記、他愛のない話、さまざまな物語り。すべてをつなぐ彼の法則。
その広さに触れることが、なにより心地いい。
そこにあるのは、「宇宙に根ざした生命の行為」だ。
それは、日詰さんにだけ許された行為ではない。
わたしたちもまた、様々なかたちでその行為をしているのだと思う。ただそれは些かつたなく、不用意で無自覚かもしれない。わたしたちすべてが日々紡いで
いるもの。歴史、文化、未来。失いながらも手に入れるものたち。
宇宙の原子は増えもしなければ減りもしない、一定なのだと聞いたことがある。
いきものを食べ、大地を耕し、塔を建てる。
人もまた、自然とともに物質を転がしてゆく錬金術師なのかな。
破壊しながら、生み続けてきた、切ないくらいに頑なな生きもののすがた。
釜室の中で、日詰さんや友人、そこで出会った人たちと共に火を囲み、天の螺旋を見上げてそんなことを考えた。
竹の隙間に抜けてゆく煙、湯気、光、声。
果てのない世界の中に、小さな身ひとつに感じる時間。
静かでなににも依らない心情、そして同時に満ち足りた気分。
できごとがすべて、美しい法則の中の、当然の偶然におもえる。
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フィボナッチ・トンネル
(楊谷寺副住職によって「白道」と命名。側の立札には御利益も記されている) |
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