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ピクチャー・イン・モーションDeLuxe

タムラサトル「100kgMan」2004年

映像作品をより深く味わうために
TEXT 横永匡史

はじめに
例えば、一度映画館で見た映画を後から家のテレビで見ると、印象が変わって見える、ということがある。
映像は絵画や彫刻と異なり、スクリーンやモニターに映し出してはじめて鑑賞することができる。その際にどのような環境で上映されるかで作品の印象は大きく変わってしまう。

その点で、この『ピクチャー・イン・モーションDeLuxe』はどうなのか。
上映される作品は、長くて20数分、短いものは1秒あるかないかくらいの映像がループしつづける作品であり、これを繰り返し繰り返し上映するという。
通常の展覧会であれば、このような上映方法をとるのであれば、スクリーンなりモニターなりを別々に用意しておいて、別々のブースで上映するだろう。画面の前にはちょっとしたベンチでも置いておいて、鑑賞者は思い思いにベンチに座ったりあるいは立ったままで見たりするわけだ。
しかし、『ピクチャー・イン・モーションDeLuxe』の会場となる集会室は、並べられた椅子(しかも最前列はソファー!)に大きなステージ、そしてステージ後方にある大きなスクリーン、とさながら1時間から2時間の間じっくりと腰を落ち着けて映画を鑑賞するかのようなおもむきだ。
また、それぞれの作品については1日しか上映せず、上映日は一つの作品を半日もしくは1日中延々と上映し続けるという。
正直に言おう。
僕は最初、そんな上映スタイルに、「なんでこんな上映のしかたをするんだろう?」と違和感を覚えずにいられなかった。

しかし、作品を見続けているうちに、この上映スタイルならではの効果や意図を感じたような気がした。
それが何なのかを、作品ごとに考えてみたい。

松井智恵「KOJIMA」の場合
画面中央には、こんもりとした小島が映し出され、そのまわりを女性が歩いていく。
女性が歩いていくにつれ、小島の脇から陰に隠れるが、少しすると反対側から現れる。そして、小島の傍らで横になってしばらく休むと、また小島のまわりを歩きだすのを繰り返す。
カメラはずっと固定されたままで、ステージの後方に映し出されることにより、だんだん小島がステージのセットのようにも見え、そのまわりを実際の女性が延々とまわり続けているように見える。
また、こんもりとした小島はまるで世界のように見え、そのまわりをまわり続ける女性が僕たち自身の人生と重なって見えてくるのだ。


田中功起「123456」2003年

田中功起「123456」の場合
画面には大きくグラスが映し出され、その中でサイコロが回る。
回転の映像はループされ、止まることなく延々と回り続ける。
見続けていくうちに、グラスの中でサイコロが描く軌跡に目を奪われ、それとともに規則的に響く回転の音が強く耳に残る。
いま目にしているサイコロの回転の連鎖は、映像の編集によって人為的につくられたものなのに、まるでそれが自然の摂理であるかのような不思議なリアリティを帯びてくる。
そして、大画面でこの回転の連鎖を見続けることにより、自分が回転の渦に巻き込まれたかのような臨場感を味わうのだ。
不意にブルブルっと身体がけいれんしてしまうほどに。

小高敦子「ある日の記憶」の場合
画面には犬の肌とそれをなで続ける手がアップで映る。
最初は犬をかわいがってなでているようにも見えるが、見続けているうちに、様子がおかしいことに気づく。
犬がぴくりとも動かないし、なでている手も、まるで犬の感触を確かめ、手に覚えこませようとしているかのようだ。
それが大画面で映し出されることにより、まるで自分が実際に犬をなでているかのような臨場感を味わう。
そしてすっと見進めていくと、犬の顔が映し出され、すでに死んでいることに気づく。
自分の手が直接死に触れてしまったような“死の手触り”を感じる一方で、それが繰り返し上映されることで、生死の連鎖や生命の循環といった巨視的な視点も感じ、よりリアリティが増しているように思えた。

すべては世界をより深く味わうために
この3作品とも共通して感じたのは、作品が持つ世界を濃密に感じたことだ。
 大画面は、映像を全身で体感するために
 深く椅子に腰掛けさせるのは、腰を落ち着けて正面から作品と向かい合うために
 ループする映像は、作品を心と身体に深く刻み込むために
 各作品の上映を1日に限るのは、作品のリアリティを深めるために
作品の上映についてのあらゆる要素が作品を深く味わうために作用していると感じる。
言ってみれば『ピクチャー・イン・モーションDeLuxe』自体が「その映像作品の世界をより深く味わうための試み」であり、ひいては「僕たちの住むこの世界をより深く理解するための試み」とも言える。
これが作品を見るベストの方法かどうかは、議論の余地があるだろう。
しかし、映像が次々に消費されては消えていく現在においては、この試みは多くの示唆に富んでいるように思える。

ピクチャー・イン・モーションDeLuxe

栃木県立美術館(栃木県)
2005年11月3日(木・祝)、11月5日(土)、11月19日(土)、12月3日(土)、12月17日(土)
 
著者プロフィールや、近況など。

横永匡史(よこながただし)

1972年栃木県生まれ。
2002年の「とかち国際現代アート展『デメーテル』」を見て現代美術に興味を持つ。
現在は、故郷で働きながら、合間を見て美術館やギャラリーに通う日々。




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