topreviews[杜多梓「退屈なあしたの、今日」/愛知]
杜多梓「退屈な、あしたの、今日」
上)「portrait2005」
中)会場風景
下)「the moment」
白い闇、黒い光
TEXT 野田利也

東海地方を中心に活動するアーティストの連続した展覧会(個展5回、二人展1回)「FRAGMENT」における第三回目。杜多梓(とだあずさ)による個展「退屈な、あしたの、今日」。

会場の多くを占めるのが、街の灯をカメラを移動させながら撮影した写真作品(それをつなぎ合わせた映像作品も)「the moment」のシリーズ。街の灯と言っても、ラディカルな繁華街の「ネオン」(ブレードランナー)でも、センチメンタルな街灯(チャップリンの「街の灯」)でもない。何もない田舎のハイウェイを車で走りながら、窓越し遠くに見えるニヒルな街の灯。または、無個性な住宅街の家々の灯というのが私の印象である。(デビッド・リンチの一連の作品、ブルーベルベッドやマルホランド・ドライブなど)
灯はカメラの軌道を辿り、有機的な線を描く。作家によれば、昆虫採集のように街で拾い集めたものだそうだ。なるほど、その有機的な形態や、赤や黄色、緑といった色彩は、どことなく体温を帯びた生命体のようにも思える。そして、虫ピンで四隅を刺した展示方法は、昆虫標本を彷彿とさせるものであった。

そしてこの展覧会のハイライト、「portrait2005」である。
闇の中にスリップ姿で、凛と立つ女性のポートレート。両手には鮮やかな緑色の葉が茂った植物を持ち、それが足元まで垂れ下がっている。全く同じシュチエーションのものが横に5枚並べられている。複写ではないであろうと、顔の表情を読みとろうと試みたが、黒いレースが顔を覆い、それをうかがい知ることはできない。しかし、じっとこちらを凝視している意思の強さ(目ジカラ)を感じる。ちょっとしたアートファンなら、小谷元彦の「ファントム・リム」を思い起こすかもしれない。圧倒的な光に飲み込まれ、空間の天地、奥行きが喪失し、身体の一部が欠落してなお、恍惚の世界に埋没しているかのようなエロティックな経験。また、誤解を恐れず書くならば、シンガー(アーティスト?形容が難しい)の中島美嘉がもつ退廃的な美しさやエロティシズムを読みとるかもしれない。どちらも、美しさやエロティシズムという点では共通するが、白(光/明)と黒(闇/暗)という両極のイメージによって分断される。しかし、その二つは表裏一体で一対であることは明快である。
それは杜多の作品にも言うことができる。
本展では展示されていなかったが、2001年の作品「ある日常の風景」で演出されているシュチエーションはどこまでも、暗く、絶望的である。しかしそこに表現されているものがタナトスであるとすれば、死は希望の成就であり、紛れもなく、闇の中の光(白/明)である。
「portrait2005」においても、闇(退廃的な空間、雰囲気)を感じたのであれば、同時に光(意思の強さや、緑の生命力)を見出すことが可能であろう。このパラドックスこそが、彼女作品の魅力のひとつであろう。

杜多梓「退屈な、あしたの、今日」
−FRAGMENT−


ギャラリーレイ
2005年6月13日(月)−6月19日(日)
アーティストウェブサイト

著者プロフィールや、近況など。

野田利也(のだとしや)

1972年生まれ。名古屋芸術大学美術学部デザイン科卒業。
会社員生活の傍らN-markとして活動。http://www.n-mark.com


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