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米松の大径木
TEXT & ILLUSTRATION 岡村裕次
最終回
この話題は終わります

前回まで、最近の建築の傾向が現代美術的な側面があるなぁーと思った理由や、建築家がアート業界に進出して来ているきっかけは何なのだろうか?と自問自答しながら考えたことを書いてきました。文章を書く事をきっかけにいろいろと考える事ができたのは僕にとっても素敵な体験でした。そろそろこのお話も最終回とし、次回からは新たな話題に移ろうと思います。

そこで、今回は今までの内容をまとめておきたいと思います。

「建築」・「建築家」という言葉をテレビや雑誌でも良く目や耳にする機会が増えて来ました。このように身近な存在になって来た理由として、建築物が今までよりも視覚的に特徴的だったり、可愛いかったりしてフォトジェニックな建築が増え、若い世代にも気軽に受け入れやすい雰囲気が出て来たからではないかと思っています。
今まで建築家の王道と言えば公共建築としての図書館やホールなどで、建築を作り上げる理論が比較的難しい言葉を使って説明され、業界内に閉じている傾向がありました。しかし、時代が大きく変化し、官の仕事はどんどん民間に委託されていき、外資系企業の参入などもあって民間の力がより強くなってきました。そうなると建築家に仕事を依頼するクライアントが官から民に変わり、特に商業建築やインテリアデザイン、オフィスデザインを手がけていかざる得ない状況に変わっていきました。それらを建築家が手がけるようになるとクライアントの要望は今までと大きく変化し、文化や社会のためよりも「目立つ事」や「消費者(顧客)に容易に受け入れられるわかりやすい建築にすること」が求められるようになって来たのです。また、民の建築はスピード感があります。利益を上げる為には一日でも早くオープンする必用があり、時代の感覚や空気感をタイムラグなしに表現するメディアの一つとして建築が仲間入りしたのかもしれません。

官も変わってきました。公共建築も設計者選定や設計案づくりがより市民に開かれていく時代となり建築家はわかりやすく建築を表現し、伝えていく事が求められてきました。そんな世の流れが建築を少しずつわかりやすい存在として皆に認知されて来た原因ではないかと思っています。

その商業建築やインテリアデザインでの経験は建築デザインに新しい領域を持ち込んでくれました。目立つ事を求められた建築は、建築の立面であるファサードを建築の主題として考えざる得ない状況となったのです。表面に貼付けて目立つような視覚的表現を建築家が模索し始め、オプ・アートやトリックアート的な手法を使ったような建築ファサードが現れてきました。それらは見た目が面白いという事もありますし、様々な見え方は様々なターゲット(年代)の気持ちに引っかかるようにといったねらいもあるのでしょう。こうして建築ファサードに多様性や抽象性、象徴性をどうすれば与えられるのかと建築家が競い合って工夫してきました。更には、そのお化粧的な表現から脱却しようとファサードと構造を一体化したり、ファサードに熱負荷を抑える装置として目立つ以外の機能を加えたりしながら建築のデザイン領域にファサードを取り込みました。いつの間にかファサードを考える事が建築の主題の一つとして当然のようになってきたのです。

こうして商業建築で磨かれた視覚的なファサード操作は住宅建築にも派生し始め、可愛い建築やちょっと変わった建築が増えてきました。いままで建築家は言語化をすることで客観性であったり、社会性を確保しようとしていたのですが、クライアント個人と建築家が言葉を介さないで「良さ」を共有するような事が出始めて来たようなのです。恣意的に作られたあるルールをもとに形のスタディーが多数繰り返され、クライアントと私性や感性の共有をすることで建築形態が決まって来るようになり、ファサード建築とともに新しい建築の傾向を感じています。

次に、建築家の仕事の領域が広がって来ていることもメジャー化への一因でしょう。不景気により建築設計の仕事が減る中、建築家は新たな活躍の場を求め始めました。美術館でインスタレーションをしたり、まちづくりに関わったり、自らを宣伝するようなメディアを作ったりと実に様々な活動を起し始めたのです。プレゼンテーション能力や実行能力の高さは建築家の職能の一つでして、それが有利に働き、実際に職業としてお金がもらえるようにまでなりました。今や美術館で個展を開催したり、地域のまちづくりの主要人物として活躍したり、テレビに「匠」として出てみたりと、いつのまにか器用に立ち回れる存在となって来たのです。建築を作らずとも、建築が下手でも、「建築家」は流通し始めたのです。

以上のような事を少しの具体例を出しながら建築の現状を僕なりに書いてきました。そんな現状に対し、僕はどうなんだというと割と古典的なタイプなのかと思っています。

ある大先輩の建築家は言いました。
「若手建築家はファッションビルを設計したりする事と住民参加のワークショップに参加する事に何の矛盾もない。でも、俺にはそれはできない。」
僕が学んだ大学では先生である建築家より下記のように教わりました。
「建築は都市を作り、都市は文化や社会を作る。建築を変えれば社会が変わり、制度も変わるのだ。」
大上段に構える言説ですが、僕はそれに共感し建築の世界に飛び込んで来ました。しかし、今の器用な建築家はクライアントの要望を素直に聞き入れ、アート作品のように新しい表現を追求し、自ら作ったメディアで自分の仕事を取り上げるというどこか社会性への眼差しを忘れている状況であるかもしれません。
そしてその大先輩建築家は「結局、建築は社会を追従する存在に甘んじざるを得ない」ことを建築家が認め、その状況を受け入れてしまっていると言い、「この社会では建築家の立ち位置がない」と結んでいました。

「結局は建築は社会に対して何もなして来れなかった」という先輩の言葉は重いのですが、僕たち30代はまだそんな悲観的になると今後つらくなってしまうだけです。原点に返れば建築は個人的な物ではなく、都市や文化を形作り一端を担っている事を再度心に刻む必用があるのでしょう。クライアントの為だけではなく、社会やまちや都市がこうあるべきだという答えのないビジョンを一緒に考えていく事だけはしないといけないと思っています。もちろん「明るい未来」だとか「平和」、「エコ」などを僕は無邪気に信じられませんので、もっと小さなリアルな出来事から取り組んでいければと思っています。それがもしかしたら今の建築家の器用さがうまく作用し、官の力ではなく民や小さなまちの力と共同して力強くはないでしょうがゆっくりと押し進め、社会を小さく変えていく可能性を秘めているのではないかと思っています。

おわり

次回からですが、見て来た建築を僕の言葉で紹介していこうと思います。建築家として感じた事を素直に書いていければと思っています。今後ともよろしくお願い致します。


著者のプロフィールや、近況など。

岡村裕次(おかむらゆうじ)

1973年三重県生まれ
建築家(建築設計事務所TKO-M.architectsを主宰)
ウエブサイト  TKO-M.architects
建築がもつ不自由さが気に入っていながら美術の自由さに憧れるそんな矛盾した建築家です。
「建築散歩入門」という街歩き講座をしています。是非外に出て、建築を見てみて下さい。

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