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美術散歩


「アート・スコープ 2009-2011」―インヴィジブル・メモリーズ展にて

TEXT 菅原義之

 
 原美術館で開催されている「アート・スコープ 2009-2011」―インヴィジブル・メモリーズ展は、日本とドイツ間相互に現代美術のアーティストを派遣・招聘し、異文化での生活を体験しながら交流をはかるもので、ダイムラー・ファウンデーション ジャパンの文化・芸術支援活動「アート・スコープ」だとのこと。原美術館は2003年から「アート・スコープ」のパートナーをつとめているそうである。今回はドイツから招聘したエヴァ・ベレンデスとヤン・シャレルマンの2名と、日本から派遣した小泉明郎と佐伯洋江の2名による展覧会である。それぞれが招聘、派遣された地での体験を踏まえて作品を制作していることが、本展の特徴である。
 見るきっかけとなったのは内容に関心があったことと強いて言えば4人とも70年代生れだったことである。なぜかこのところこの年代のアーティストに関心がある。この年代のアーティストからは何か現代の傾向がつかめるかもしれない、と。
ヤン・シャレルマン「ブラックホールI」、「ハッピーホールI & II」 2011年 エポキシ樹脂、顔料、スタイロフォーム 250 x 120 x 110 cm
協力: Galerie Hammelehle und Ahrens
展示風景撮影:木奥惠三

ヤン・シャレルマン(1975〜)
 このアーティストの作品を見た瞬間感じたのは意外性だった。事前にネットで検索し見ていたのは陶器製の重量感ある作品だと思っていた。ところが実物は発泡スチロール製で写真からは見えないが底の部分が抜け床が見える作品だった。現物は思いのほか軽量だと感じた。軽量さと底のないところに意外性を。展示は《ハッピーホールT、U》の2点と《ブラックホール》。計3点である。かなり大きい。縦型で変形の5角形であり、斜めに切られた断面の内側は1点は赤、もう1点は青、もう1点は黒で塗られている。発泡スチロールの合わせ目からは顔料が外側に漏れ異様な雰囲気をもたらしている。漏れた顔料が作品の輪郭を描いているようでもある。「異様な形」と「強い色彩」と「顔料の漏れ」。これを見て"何だろう?"と思考回路が動き始める。これが狙いだろうか。同時に"あっ!そうなんだ"と素材と構造のもつ意外性が「驚き」、「ずれの感覚」、「面白さ」に繋がった。

佐伯洋江「Untitled」2011年 紙にシャープペンシル、色鉛筆、アクリル 68.5×109.5 p
協力 タカ・イシイギャラリー


 
佐伯洋江(1978〜)
 この人の作品は紙にシャープペンシルや色鉛筆で描く彩度を抑えた繊細な描写と広い余白の不自然でないところが特徴だろう。描いているものが草、花、動物、風景など自然界に存在しているものかと思うとそうでもない。自然界と想像の世界とを絶えず往還しているさまが連綿と描かれている。描きながら佐伯の思考はどんどん想像の世界に広がっていくのかもしれない。それだけに見る側にとっては"何なんだろう"と、しきりに思案させられる。あれやこれや想像できる楽しさもある。なんとも異様な作品である。ヤン・シャルマンと作品内容は異なるが、何だろうと思わせるちょっとした「驚き」、変だと思わせる「ずれの感覚」、それだけに「面白く」つい見てしまう。こんな不思議な作品だった。

エヴァ・ベレンデス
「Untitled」2010 年 絹、シルクペイント、スチール、ラッカー、磁石 121×121cm
協力 Sommer & Kohl

「Untitled」2010 年 鋼鉄、真鍮、ワニス 158 x 78 x 5 cm
協力: Jacky Strenz
展示風景撮影:木奥惠三

エヴァ・ベレンデス(1974〜)
 121センチ四方の絹地にペイントした作品3点と金属でできた衝立のような作品3点である。全て抽象作品。シルクペイントの3点は壁面に直に展示され、グリッド状の模様とその内外に丸、四角ほか幾何学的な図柄が描かれている。色彩は落ち着きがあり見ていて心地よい。一方、衝立は細かいラッカー塗装した金属製の網目板と金属製のグリッドが衝立の骨格を形成している。素材を巧みに駆使しこれも落ち着いた色彩で不思議な構造を持った衝立だろうか、魅力的な作品である。立体、平面とも色彩と造形の妙味が感ぜられる。平面作品をフレームなしで展示するとか、立体の構造に特徴が見られるが、全体として70年代アーティストの特徴というより以前からの流れの中にある作品群のように思えた。落ち着いた色彩は日本滞在の影響があるのかもしれない。

小泉明郎「ビジョンの崩壊」2011年 ヴィデオインスタレーション(2画面)11分25秒(ループ)
展示風景撮影:木奥惠三

小泉明郎(1976〜)
 映像2点で両作品ともなぜか戦争時の別離を扱っている。1点はこれから戦地に行き帰らずの人となる若い青年が両親と別れる場面の演出風景である。何回もやり直しながらアドヴァイスにより別離の表現が現実味を帯びてくる。もう1点は画面が両面になっていてそれぞれ夫婦の家庭内での食事風景などである。夫の生前の姿を思い出しながら戦死後の姿を映した場面だろうか。いずれもストーリーを見るより家族愛、夫婦愛の演出方法を見るべき作品か。そう見ると悲惨さを感ずるというよりむしろ「表現のずれ」、「奇妙さ」、「おかしさ」、「もどかしさ」、時には「面白さ」さえ感じられる。でもなぜ戦争場面かと思う。極限状態の表現にはこのような場面が適しているからなのか。東日本大震災での悲惨さの極限状態を戦争に置き換えたとみることもできるかもしれない。あるいはドイツ滞在で日本との関連項をあえて探るとすれば歴史上の事実として戦争風景が想起されるからなのか。ここがちょっと分かりにくい。

 4人の作品を見てエヴァ・ベレンデスはやや異なるように思うが、ほかの3名は内容こそ異なるものの70年代生まれのアーティストの特徴がみられたように思う。たまたま東京都現代美術館で「ゼロ年代のベルリン」展を見たが、この中でも70年代生まれのアーティスト、例えば、ネヴィン・アラダグ(1972〜)、アンリ・サラ(1974〜)、マティアス・ヴェルムカ(1978〜)&ミーシャ・ラインカウフ(1977〜)などはその特徴を見せていたのではないか。今回の展示を見てその傾向がより確認できたように思う。エヴァ・ベレンデスはもう少し前のアーティストであるカタリーナ・グロッセ(1961〜)を想起させた。現代のアートの傾向は非常につかみにくいが、今回の展示も大いに参考になるものだった。今後もこの企画の発展を期したいものである。

 
 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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