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美術散歩


広い自由な世界を提起する『所沢ビエンナーレ「引込線」2011』

TEXT 菅原義之



 『所沢ビエンナーレ「引込線」2011』(8/27〜9/18)が開催されている。場所は所沢市生涯学習推進センター(第1会場)と旧所沢市立第2学校給食センター(第2会場)の2か所である。西武新宿線の航空公園駅が最寄り駅である。第一会場にはアーティスト13人、第二会場は17名(グループを1名と換算)が参加。作品は絵画、彫刻、映像、インスタレーションなどさまざま、具体的には、動く作品、音のする作品、観客参加型作品、メッセージ性あるもの、観念的な作品などがありまるで現代美術の縮図を見るようだ。作品が多いので10点に絞って見ていこう。

1.第一会場 所沢市生涯学習推進センター(体育館)



 
荻野僚介(1970〜)体育館
 主にオレンジ色の色面に「的」が描かれた大きな絵画である。色面の構成はメリハリが利き、しかも筆跡が残らない綿密な描き方である。補色の効果を発揮し全体に鮮やか、目立つ作品である。奥行きは感じられない。タイトルは《w1665×h1861×d61》で作品のサイズを示しているようだ。よく見るとキャンバスの縁までしっかりと描かれている。D61はキャンバスの奥行きかもしれない。広い会場の中央壇上にこの作品が設置されていた。荻野はこの展示場所があらかじめ分かっていて描いたものだろう。鮮やかな色彩と「的」を描いた大きな絵画。この場所にぴたり似合う作品だった。


 
鈴木繭子(1982〜)体育館2階
 高さ10センチにも満たない背の低い木枠が四角を象るように床に置かれていた。木枠の内側にテグスが張られ外側まで回っている。それだけである。木枠にテグスを張ることで単なる枠でないことを表現しているようだ。何なのかと頻りに見入る。そうさせること自体が作品として効果を発揮しているのかもしれない。コンセプチュアルだが、なぜか納得させられる。窓にはドローイングが2点、直接立て掛けるように置かれている。紙なのでたわんでいる。その上に透明なガラスが置かれている。たわみを補正しているように思えるがたわみはそのまま。ガラスは木枠の作品でいえばテグスの役割をしているのかもしれない。面白い。また、階段のすぐ脇にこの体育館の備品に黒い幕を載せた作品が2点並んでいた。2点あることで偶然性を否定、意思をもって制作したことを示しているようである。これも一方が木枠、もう一方がテグスと考えると納得、面白かった。


 
タムラサトル(1972〜)体育館 
 大きい、動きがある作品《バタバタ音をたてる2枚の布》(2008)である。がっしりした金属製の土台に大きな綿布でできた白い旗が竿付きで2点取り付けられ回転していた。広い体育館に相応しい作品に思えた。1分回って1分休む。これを繰り返すそうである。このアーティストは電気のスパークを取り入れた作品、モーターを使用した動力作品など電気を使う作品を多く制作する。今回は大きな旗2点の回転作品である。回り出すと風になびいてパタパタと音が広がる。力強い。つい見入ってしまう。動くアート、音を発するアート作品といっていいだろう。

中山正樹(1945〜)体育館 
 広い床に大きな日の丸の旗。ところが日の丸の一部が削れ両手を広げた人物と網状のものが描かれ、その上に「AMI」と書かれている。何だろうと思う。"あっ!そうだ"網だ。ネットワークの意味にもとれる。また、フランス語で友人の意味でもある。さらに逆に読むとIMA(今)だ。この3月の東日本大震災による被害は甚大で筆舌に尽くし難い。日本の国そのものの大惨事でもある。乗り越えることが喫緊の課題だ。そのためには「ネットワーク」をしっかりと持ち、互いに「友人」であるという相互扶助の精神を持ち、「今」この厳しい時代を乗り切っていかなければならない、と。このアート作品は端的に日本の現況を表現していた。社会への言及作品にも思えた。

2.第二会場 旧所沢市立第2学校給食センター(1階および敷地と2階)


 
海老塚耕一(1951〜)1階および敷地
 錆びた鉄板の上に錆びた鉄製の球が載り床に置かれていた。その脇に給食センターの格納棚がいくつも並びその中にも錆びた鉄板とその上に錆びた球が置かれている。球の上からはピアノ線が延びている。タイトルは《そして、水の皮膚の裏側からそっと》である。鉄板の上に水が流れ皮膚をなす(水の皮膚が作られる)という意味だろう。錆と繋がる。格納棚の錆びた球は鉄の球と同じように見えるが木(アゾベ=アフリカ産の硬い水に沈む木)だった。球の上の穴からピアノ線が延びているのが木である証明かもしれない。錆びた鉄の球と錆をもたらした木の球との対比だろうか。また、ピアノ線が延びているのは縦型の格納棚に合わせて空間構成したのかもしれない。ほとんど同じように見える「鉄」の彫刻と「木」の彫刻の対比の面白さとピアノ線の役割がなぜか納得だった。

利部志穂(1981〜)1階および敷地 
 給食センターの外に銀色一色の作品が設置されていた。センター内の金属製の備品を土台にして、そこにヘリウム入りの銀色の風船をいくつもしばり漂わせている。風になびいて文字通りふわふわ浮いている。作品の背後には大きな水槽がある。水槽の大きさと色彩とが作品とよくなじんでいる。水槽を意識すると水中から泡がふわふわと浮かんでいるようにも思える。備品の取り込み、水槽の取り入れにより作品が水中の素晴らしい光景を呈しているようだ。このアーティストは廃品、廃材を用いて見違えるような素晴らしい作品を制作する。素材の変容をはかるということだろう。ここでも今は使わなくなった水槽や備品を活用して見違えるような素晴らしい作品を創り上げていた。


 
戸谷成雄(1947〜)1階および敷地 
 会場中央に作品が横に置かれていた。このアーティストは木や板をチェンソーで削り取りその残渣を焼いた灰を使ってアクリル塗装する。今回の作品は薄い板の表面をやはりチェンソーで削り取り細長い四角い箱状のものを制作している。タイトルは《「ミニマルバロックX」浸水―箱舟U》(2011)。ミニマルの中にある還元されたすっきりした隠れている面とその対極にある削り取られ明暗の妙味を呈するバロック的重厚さとの葛藤を表現しているようだ。この箱状のものは舟で、ノアの箱舟を想定して制作しているとのこと。表面に覆われているものは板を両面から削ったもので薄いためところどころ穴があいていて中を覗くことができる。中は箱舟同様3層構造になっているようだ。穴があいているのでノアの箱舟と異なり人など救えないボロボロの舟だとのこと。表面の荒々しい削り跡の葛藤が凄い。

中崎透(1976〜)1階および敷地 
 給食センター内にある不要の什器、備品を一手に引き受け一見アトランダムに並べたインスタレーションである。これらを並べて迷路や階段を作ったり、メッセージを書いたり、はかりの上にはかりを載せたりして体験するものに問いかけているように思える。雑誌プレーボーイの中から16の言葉を拾い出しこれを作品の中に提示したり、アナウンスしたりしている。タイトルは《十万年後の誰かがプレーボーイを注意深く観察したとせよ》である。分かるような、分からないような話である。給食センター内にあった什器や備品はそれなりに役割を果たしていたが、ここに集めアトランダムに並べられたのでは全く無意味がないし何のことか全く分からない。10万年後にプレーボーイをいくら注意深く見たって誰もわかる筈ないのと同様である。でもこの中に何かを見出すことができればそれなりに意味があり面白いことではないか、と。什器や備品をかき集めこんな思考を巡らす。凄く面白いと思うがどうか。




 
前野智彦(1977〜)1階および敷地 
 全体が真っ白の凹凸のある台の上に多数の小さい磁石版(コンパス)があちこちに置かれていた。表現が難しいが化学工場のようである。コンパスの針の先端は片方が「赤」、もう一方が「黒」である。台の上にはあちこちにレンズが置かれている。レンズの下のコンパスはかなり大きい。水も窪んだところに入っていて天井の光の反射を意図しているようだ。一面白の凹凸。光と水。一面のコンパス。そして面白いことにコンパスの針の向きがあちこち様々で絶えず動いている。磁石がこの大きな台の下で動いているのかもしれない。不思議な光景である。コンパスなので本来すべて同方向を向き静止するはず。全く統制がとれていない状態を表現しているかのよう。世界の抱える困難な問題、日本の抱える喫緊の課題が一向に解決できない状態を暗に指摘しているようでもあった。



 
水谷一(1976〜)2階 
 2階会場に2作品の展示。一つは絶えず2つのスピーカーから音がしている。タイトルは《実際の温度》。録音日時2011.8.11、録音場所 青森県六ケ所村である。ここには核燃料の再処理工場がある。地震発生から5ヵ月後にここで周りの様子を録音したもの。聞く限りは何の変哲もないが、莫大な費用をかけしかもトラブル続きのこの再処理工場は今後熱を持ってくる大きな問題であろう。この指摘か。
 もう一つは床に置かれた大きな白っぽい絵画だ。かなり大きな紙に鉛筆を削りながら描いたとのこと。恐らく硬めの鉛筆で描いたものだろう。よく見ると細かい鱗状、結晶のようであまりの繊細さに驚く。かなり時間をかけて制作したものだろう。展示室は作品を隔てて窓側を見る構造である。座って絵画を見て目を上にやると窓から外の景色が映る。そうであればこの絵画は白砂の庭を想起させ、外の木々や空は借景として映る。水谷によるとこの展示室を見てから作品を制作したそうである。見事な展開に驚く。ふと京都の竜安寺石庭が浮かんだ。

 このほかにもいい作品、面白い作品がいくつもあった。紙面の関係で省略せざるを得なかった。
 全体を通してそれぞれのアーティストが体育館と給食センターという普通の展示室とは異なる特殊なところでその場に相応しい作品を制作している。さすがにプロだと感心せざるを得なかった。また、東日本の大震災は未曽有の大惨事を惹起したが、これを乗り切るために方法や考え方こそ異なれアートの力を少しでも役立てようと作品に反映させる試みも見られた。素晴らしいことである。
 参加アーティスト30名は年代的にも広い範囲にわたっていた。それだけにいろいろの作品に巡り合うことができた。重厚な作品、コンセプチュアルな作品、巧みな空間構成を示した作品、動く作品、音のする作品、観客参加型作品、一見ガラクタを集めたような作品、枝を繋げる作品、アニメ作品、動かないような映像作品などなどあり、"なぜか"という問いを常に伴う作品群に接し、まさに現代美術の世界にトップリ浸かることができた。アート作品が絵画と彫刻だけという世界から解放され、広い自由な世界へ導かれたような楽しい、面白い気分を堪能することができた。

 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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