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美術散歩


深遠の世界に触れる「イケムラレイコ うつりゆくもの」展

TEXT 菅原義之

 
 東京国立近代美術館で「イケムラレイコ うつりゆくもの」展(8/23〜10/23)が開催されている。イケムラレイコはこれまであまり馴染みがなかった。全貌を知るにはいい機会だった。イケムラは三重県出身、若いころから平凡な人生を歩むことに抵抗を感じ、海外に行き未知の世界に接したい、自分に何ができるのかを確かめたいとの強い意志を持って考えを実践していった。希望をかなえるため大阪外国語大学スペイン語科に入学するが在学中にスペインに渡った。行き先の選択は多くの人が考えるアメリカではなくあえてスペインを選んでいる。これもイケムラらしい。
 20代初めにスペインに渡ったイケムラは、翌73年もともと美術には関心があったのでセビリア美術大学への入学を決意する。単身でスペインに乗り込み、この地で自分の将来を決することになる。若い頃は誰でも大きな夢を見るが、凄いのはその夢を実行していったことだ。ここでふと草間彌生が浮かぶ。1929年生まれの草間も28歳のときに単身渡米、向こうで自分の道を切り開いていく。今ほど自由に行けなかった頃のことである。彼女は、「私は28歳でアメリカに渡ったが、もしこのときアメリカに行かなかったら、今の私はなかったと思う。・・・」と。昭和32年のことである。決断と実行の人だ。時代は違うがイケムラも全く同様に思えた。
 79年にスペインからスイスに移住し、作家としての活動を本格的にスタートさせた。80年代前半には、絵画とドローイングを中心に制作。その後84年にケルンに移るが、80年代の終わり頃に仕事や私生活に行き詰った感ありという。最終的にはスイスの山地に移る。これが転機になったようである。80年代末から90年代初頭に雪舟の山水画を意識した新しいスタイルが生み出される。また、80年代終わりに始めたという粘土を用いた彫刻は、90年代以降のイケムラにとって絵画、ドローイングと並ぶ重要な要素となったようだ。91年にはベルリン芸術大学の教授に就任する。現在はケルンとベルリンの二か所を拠点に制作、ケルンでは彫刻をベルリンでは絵画をより多く制作しているそうである。以上が今回知り得たイケムラについての概略である。

イケムラレイコ《黒に浮かぶ》1998-99年、豊田市美術館 撮影:林達雄




イケムラレイコ《赤の中の青い人物像》2007年、個人蔵 photo: Philipp von Matt

 作品を見てみよう。
 イケムラというとまず作品「横たわる少女」が思い出されるが、この展覧会を見ると必ずしもそうではないようだ。もっと広い範囲に制作しているのが分かった。もちろん「横たわる少女」は素晴らしいし、展示では90年代の終わりころ《黒の中に横臥して》(1998〜99)と最近描いた作品《赤いライオンとともに横たわる》(2009〜10)などが展示され、イケムラにとっては横たわる少女は重要なモチーフだろう。横たわる少女は誰なのか、何を考えているのか。それはイケムラかもしれない。「自分とは何なのか」、「何をすべきか」と、若いイケムラが異国の地であるべき姿をしきりに模索したのであろう。どの作品も輪郭が茫然としていてあたかも茫洋とした人生とか未来とかを想像しているようだった。
(注)写真は上記2作品とは異なるがイメージは同様。
イケムラレイコ《みずうみ》2004年、ヴァンジ彫刻庭園美術館 photo: J.Littkemann


 イケムラは出身地三重県の海が強く印象に残っているようだ。海を描いた作品が何点もあった。写実的に描いているわけではない。むしろ抽象絵画といってもいいのかもしれない。やや暗い感じがぬぐえないが、次第に帯状に色彩が変わり茫洋とした色面だけで構成されている。なぜか惹かれる。特に《よるのうみ》(2003〜04)は見惚れてしまった。何とも言えない奥深さがある。《ヒカリ》(2005)も遥か彼方に町の夜景を表現している。自分の郷里三重の海を想像しているのか、あるいは海の先にある世界を見ているのかもしれない。凄い。
(注)写真は上記2作品とは異なるがイメージは同様。
イケムラレイコ《ひざまずいて(目に身をあずけながら》1997年



 驚いたのは粘土を用いて制作した横たわる少女が大きな薄暗い部屋に何点も展示されていた。スポットライトの効果は抜群。横たわる少女があちこちに。後頭部が欠けているもの、胴と足が離れているもの、頭部のないもの、立像、目を押さえているものなどさまざまである。絵画とはまた異なる感じ。輪郭がはっきりしてよりリアルに感じられる。絶えず苦悶し、絶えず思考し、絶えず反省するイケムラの姿だろうか、と。


イケムラレイコ《滝》1990年、三重県立美術館

イケムラレイコ《マロヤ湖のスキーヤー》1990年



 イケムラが行き詰まりを感じてスイスの山地に転居したのが80年代の終わり頃である。この時の作品であろう。一見抽象絵画のように見えるがスイスの山の情景を描いているようだ。作品《滝》(1990)、《風景》(1990)など色彩と構図など静かに穏やかに「横たわる少女」とは異なる。心の葛藤、這い上がろうとする強い思いなど複雑な心境が感じられる。凄い。これも魅力的な作品だった。《マロヤ湖のスキーヤー》(1990)は、雪舟の《秋冬山水図》の内の「冬景」を意識して描いているとのこと。思考を巡らし日本の古典とスイスの風景とを重ね合わせ制作したものかもしれない。確かに雪舟の片鱗をうかがうことができる。もしそうであればここにもイケムラの葛藤の跡が見えるようである。

「イケムラレイコ《山水》2011年


 
 近作では10〜11年にかけて制作した作品《山水》が何点か展示されていた。見た途端に日本の山水画が浮かんだ。山と川か湖が描かれている。人物が登場している。色彩も黒、グレーが基調になっている。油彩作品にもかかわらず薄塗りだからかもしれないが山水画に近い。人物は女性のよう。これまで広い分野でしかも海外で長く活動してきてふと立ち止まって日本に照準を合わせたのかもしれない。あるいは国とか国籍を超越した世界を描いているのかもしれない。色彩も落ち着いた感じで素晴らしい。

 思いつくままに記載したが、40年間弱のイケムラの足跡を垣間見たように思う。大きな収穫だった。時代によって必ずしも「横たわる少女」だけでなくいろいろな作品が登場するが、底流に流れるものは「横たわる少女」に代表されるのかもしれない。が、全体を通して「少女」を越えた深遠の世界が広がっているように思えた。
 美術作品といえば一般には精神性の高いもの、崇高なもの、感動させるものと考えられてきたが、最近の作品を見ると必ずしもそうではない。いい意味で軽い発想でその発想の素晴らしさが人を感心させる。このような作品が多く見られる。どちらがいいとは判断に窮するこの頃である。決めつける必要もないしこれも時代の流れなのかと考えざるを得ない。イケムラの作品は前者の典型だった。
 彼女は51年生れである。面白いことに同じ51年生れでも流れから見て全く異なる作品を制作するアーティストに森村泰昌がいる。森村はいわゆるアプロプリエーション(流用)といっていいのか、あのような後者に属する作品を制作する。必ずしも生年で判断することができないが、このような混沌とした時代にそれぞれのアーティストが自らの思考するところを切り開いて活躍している。この年代生まれのアーティストあたりに前者後者を分ける大きな川が流れているようにも思えた。
 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

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・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

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作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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