次は「文章」である。彼は作品だけでなく文章をいろいろ書いている。54年に図書「今日の芸術」(光文社)を発刊しているが、内容は分かりやすく説得力があり、現在でもそのまま通用する。これはベストセラーになったそうである。岡本の芸術に関する考え方を記した素晴らしい内容である。椹木野衣は前掲書の中で「今日の芸術」について次のように言う。
「本書を読んだだけでも、『芸術は爆発だ』の一言によって奇人の類に貶められてしまったかに見える太郎が、いかに秩序だってものを考え、合理的に行動した、日本では数少ない『まとも』な人物であったかは歴然としているからだ。」としている。まったく同感である。本書の一部を紹介しよう。
「今日の芸術は、
うまくあってはいけない。
きれいであってはならない。
ここちよくあってはならない。」
「では、ほんとうの芸術は、なぜここちよくないのでしょうか。・・・、すぐれた芸術には、飛躍的な創造があります。時代の常識にさからって、まったく独自のものを、そこに生み出しているわけです。そういうものは、かならず見るひとに一種の緊張を強要します。
なぜかと言いますと、見る人は自分のもちあわせの教養、つまり絵にたいする既成の知識だけでは、どうしてもそれを理解し判断することができないからです。・・・」
「すぐれた芸術家は、はげしい意志と決意をもって、既成の常識を否定し、時代を新しく創造していきます。それは、芸術家がいままでの自分自身をも切りすて、のり越えて、おそろしい未知の世界に、おのれを賭けていった成果なのです。そういう作品を鑑賞するばあいは、こちらも作者と同じように、とどまっていないで駆け出さなければなりません。だが、芸術家のほうは、すでにずっとさきに行ってしまっているわけです。追っかけていかなければならない。・・・」
3点目は「縄文土器論」である。51年に東京国立博物館で「縄文土器」を見て衝撃を受け、その翌年雑誌「みずゑ」に「縄文土器論」を発表する。これにより縄文土器が美術作品として受け入れられ日本の美術史が書き換えられたと言われている。専門の学者が岡本太郎の「縄文土器論」を評価したからにほかならない。岡本にとって素晴らしい発見である。岡本の審美眼は確かなものだが、パリで民俗学を学んだ成果も手伝っていたのかもしれない。ちなみに「日本美術史」(美術出版社1995刷)を見た。最初に登場するのは「縄文時代」である。岡本の顔が思い浮かぶようであった。
以上3点が当時の岡本太郎の活躍の痕跡であろう。この痕跡は後の世代に大きな影響を与えたのではないか。井関正昭の前掲書によれば「・・・、戦後ふたたび大衆的な評価を得つつあったアカデミックな日本の表現主義の大勢にあって、岡本の与えた前衛的な傾向は確かに戦後の日本美術の革命に大きなあとを記したと言えます。」と。もし岡本がいなければ日本の美術の発展はもっと遅れたかもしれない。
これだけ大きな影響を与えた人物がその後の歴史に登場せず、それほど評価されていないように思うがどうしてか。中ザワヒデキは前掲書「現代日本美術史日本編」の中で岡本の「対極主義」について次のように言う。
「1930年代のパリでまさしく戦前のアヴァンギャルドの渦中にいた岡本太郎は、1947年に『対極主義』を唱え、文学者や批評家をまじえて『夜の会』を結成したり、二科会内部の改革に携わったりと、旺盛な活動を開始しました。アヴァンギャルドを抽象芸術とシュルレアリスムの対立としてとらえていた彼は、それらを弁証法的に止揚せず、対極に置いたまま提示することを目論み、さらに主題や技法、洋の東西、思想と背景、現実と理想の矛盾等、あらゆるものにその「対極」の考えを適用しました。」
この指摘はその後あまり支持されなかった大きな理由の一つではないか。50年に開催された第2回読売アンデパンダン展の初日に岡本は「対極主義美術協会」の結成について呼び掛けたが賛同が得られなかったそうである。
ここで岡本太郎を再考してみたい。
たとえ対極主義がそうであってもその後の岡本太郎の影響力は大きかったようだ。70年に大阪で開催された万国博覧会でテーマプロデューサーとして選任され《太陽の塔》を制作する。
アヴァンギャルド芸術家である岡本が、国家プロジェクトという体制派からの選任申し出を承諾したことについてなぜかと訝しげに思われるが、岡本はあえてこれを引き受けた。含みがあったからであろう。彼は就任当時から万国博のテーマである「人類の進歩と調和」に反対し「反博」を唱えていた。最先端の科学技術に「ノン」を突き付けた。岡本太郎は「人類は進歩なんかしていない。何が進歩だ。縄文土器の凄さを見ろ、ラスコーの壁画だって、ツタンカーメンだって、今の人間にあんなものが作れるか」と。人間存在の根源にさかのぼるものを造って日本だけでなく世界の人々につきつけるんだ。経済的に豊かでなくても地球上のすべての民族が対等に参加できてこそ万国博覧会だ、と。こうして縄文文化という日本の持つ「根源的なもの」を念頭に《太陽の塔》を制作した。
万博というと先進国への仲間入りのためのパスポートのように思えてならない。「人類の進歩と調和」は立派なテーマだったし内容は素晴らしいが、これは表向きで底流には西欧に起源を発する国力誇示、国威発揚の思想があると言わざるを得ない。直近の開催例を見ると一層明らかである。この考え方をやや牽制する意味で「反博」の精神はむしろ大事なことではないか。岡本がテーマプロデューサーを引き受けたのもこの含みがあったからかもしれない。よくも思いきった作品を提示しやり遂げたと感心せざるを得ない。
一方、グローバル化が進む中で最近は美術の分野でもからなずしも西欧的価値観にとらわれることなく広く世界に視野を向けた展覧会が開催されてきている。この2〜3年を見ても「トランスフォーメンション展」(東京都現代美術館)、ウイリアム・ケントリッジ展(東京国立近代美術館)、AI WEIWEI展(森美術館)、「チャロー!インディア:インド美術の新時代」展(森美術館)、「ネオ・トロピカリア:ブラジルの創造力」展(東京都現代美術館)、「アヴァンギャルド・チャイナ」展(国立新美術館)などである。ここではそれぞれの持つ「国柄を表したもの」「土着的なもの」などが披瀝されていた。それぞれの国にとって「固有のもの」「根源的なもの」といっていいであろう。40年ほど前の大阪万博で岡本太郎が提示した《太陽の塔》こそ「土着的なもの」であり、「根源的なもの」ものであろう。先見性があったとまで言わなくとも岡本の精神は最近の展覧会の傾向に通じるところがあるようだ。西欧に長期滞在していたからこそ日本人としてかえって西欧的価値観にとらわれず客観的に見ることができたのかもしれない。
《太陽の塔》は現代に相応しいかどうかとの見方はあるようだが、むしろ最近の傾向を既に具現化していたといえるかもしれない。《太陽の塔》が万博のシンボルとして永久保存されていることは素晴らしいと言わざるを得ない。後ろから見るとなぜか「恐れ」とか「畏敬」を感ずる。太郎が見ているのかもしれない。
最近岡本太郎を評価しようとする風潮があるようである。当然のことであろう。このたび東京国立近代美術館で「岡本太郎展」が開催されたこと自身岡本太郎の再評価を物語っているのではないか。