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美術散歩


海外に視野を広げる「アーティスト・ファイル2011」展

TEXT 菅原義之

 
 「アーティスト・ファイル2011」展が国立新美術館で開催されている。この企画は毎年この時期に行われ今年で4回目になる。現在最も注目すべき活動を展開しているアーティストを選び紹介する展覧会だとのこと。今回の特徴として外国人アーティストを多く選んだそうである。日本人4名、外国人3名と1ユニット(2名)、計8組のアーティストからなるもの。作品は絵画、立体、写真、映像、インスタレーションなど多岐にわたっている。僅少例だが現代のアートの傾向を見ることができるかもしれない。


クリスティン・ベイカー《ワン・ピラミッド・ナイン・フェイス》2010年 アクリル/PVC 
© Kristin Baker, Neil Wong Collection, Photo Farzod Owrang,
Image courtesy The Suzanne Geiss Company

 クリスティン・ベイカー(1975〜)
 作品はPVC(ポリ塩化ビニール)にアクリルで描いた絵画である。抽象絵画と思われるもの、そうでないものなどあるが、いずれも硬質な支持体を用いて豊富な色彩とダイナミック(動的)に力強く描くところに特徴があるようだ。カーレースに興味を持ちカーレース中のクラッシュの場面を描いた《アンフェア・アドヴァンテージ》(2003)の表現は凄い。何もかも吹っ飛んでしまっている。また、《ペルセウスの筏》(2006)は19世紀フランスロマン派の画家ジェリコーの《メデューズ号の筏》を想起して描いた作品であろう。人物こそいないがその情景は真に迫っている。あるいは《ワン・ピラミッド・ナイン・フェイス》(2010)は画面をいくつも区切りそれぞれ特徴的な絵画を描いている。時代の変化に応じて作風も変わっていくようだが、いずれも色彩豊かな迫力のある魅力的な作品だった。


松江泰治《ALTIPLANO 100676》 2010年 ビデオ
©TAIJI MATSUE  Courtesy of TARO NASU

 
 松江泰治(1963〜)
 写真と一部映像作品である。都市、山岳、砂漠などの様子を俯瞰的に写真に撮りシリーズのように纏めて展示していた。地球の表面を撮るということだそうである。世界を股にいろいろな都市その他の風景を撮っている。都市のコーナーでは奇麗な街並み、一色に統一された屋根の色、整然とした道路、あるいは雑然とした街並みなどだろうか、松江が取り上げると素晴らしい作品に変貌する。都市、山岳、砂漠などを類型的に捉えているところはドイツの写真家ベッヒャーの採掘塔ほか各種の写真群のようだ。都市の他山岳、砂漠などの風景では街並が一転、色彩は単純だが山の襞、砂漠の砂模様、砂漠の中の緑、ジグザグな山岳道路などどれをとっても納得させられる。地球の表面を撮る。普段気がつかないところに手を伸ばして制作する写真の面白さ、素晴らしさを目の当たりにした。

タラ・ドノヴァン《無題(マイラー・テープ)》2008年 金属化ポリエステルフィルム
©Tara Donovan, courtesy The Pace Gallery,
Photo by Dennis Cowley, courtesy The Pace Gallery

 タラ・ドノヴァン(1969〜)
 身近にある素材を使って見事な立体作品を制作する。大作2点の展示で、1点は《霞》(2003)。透明なプラスティック製ストローを使って広い壁面いっぱいに埋め尽くした立体作品である。正面から見ると広い壁面にいくつもの凸部分が光りを反映し白く浮かび上がりまるで空に浮かぶ雲のように見える。近づくとストローの口がまるで蜂の巣のようだ。ストローを200万本使ったとか。こんな大作をあの細いストローだけで制作するとは凄い。もう1点は《(無題)マイラー・テープ》(2008)。金属化したポリエステルフィルムをいろいろな大きさの輪にして無数に繋ぎ合せ白い壁面に張り巡らし不思議な図形を展開する。これも光を反映し素晴らしい広がりを見せる。地図にも見える。やや薄黒い雲にも思えた。どこにでもある日常品を全く異なる使い方をして作品にするアイディアに感心した。


 
 中井川由季(1960〜)
 陶芸作品6点である。いずれもかなり大きい。部分的に制作し接合したものだろう。ほぼグレー一色、大きさ、抽象形態などからかなりの存在感ある作品群だ。中井川は「かたちもなるべくシンプルに、ストレートに、と。・・・複雑なものをいったん単純にスッと見せておきながら、それがひとつ置かれていることで、まわりが変わるほどのもの・・・それが一番つくりたいんですけど、むずかしいですね」という。これが中井川の考え方であろう。作品《受け止めるために沈み込む》(2009)は、大きさが278×115×136cmで30近いパーツからなる作品である。中央上部が窪んでいてなぜかと推測させる。その他の作品も含めていずれも形はシンプルだが大きさ、色彩、形態が存在感をいかんなく発揮し圧倒される。中井川の狙い通りの作品群が展開されていた。

中井川由季《受け止めるために沈み込む》2009年 陶 
撮影:林雅之


鬼頭健吾《無題》2010年 展示風景:「pig ment」展 ベルリンの廃屋にて 2010年
Courtesy of Gallery Koyanagi

 鬼頭健吾(1977〜)
 大きな展示室一面に無数といっていいほどのスカーフを縫い合わせて床に敷き詰め一方から扇風機でスカーフの下に風を送り込むインスタレーション《Inconsistent Surface》(2011)である。広い部屋のあちこちで風をはらんだスカーフが揺らぎ大きく膨らむ。大きなものはまるで色彩豊かなパラシュートのようだ。そうかと思うと部屋の隅では2枚のスカーフが風のわずかな影響を受け間歇的に小さな波を起こしなびいていた。この作品を称して鬼頭は「どこまでいっても表面しかあり得ない世界」だと形容する。「無限」の世界、果てしなく「増殖」する世界を総称している。無数のスカーフの繋がりが意味するところであろう。色彩の豊かさ、全体の大きさ、途方もない使い方など思いもよらないところに驚き、面白さ、素晴らしさが見られ感心頻り。キネティックアートの現代版でもあろう。


ビョルン・メルフス《夜番 | ナイトウォッチ》2010年 ビデオ・インスタレーション
© Bjørn Melhus

 
 ビョルン・メルフス(1966〜)
 2点の映像作品である。現代の社会はテレビ、ラジオ、電話、映画などの電子メディアの影響下にあり、我々の思考や認識は大きくこれらに影響されている。従って現状を客観的に見るにはどうしても自分のいる世界を外部から見る必要があるという。このようにして幾多のプロセスを経て追求した結果音と光という根源的な要素へたどり着いたとのこと。1点は《マーフィー》。これはある映画が基になりそこから抽出された光る色面と音だけの世界である。激しく点滅する画面と強烈な音だけ。この中にいるとなぜかこの世界に思考が引き寄せられる。なんとなく自分なりに具体的な場面が想像される。ふしぎな映像作品だ。もう1点は《夜番|ナイトウォッチ》。これもあるインスタレーションが基になっている。それを基に音と光の世界が表現されている。ただごとならぬ世界に取り込まれるようである。メルフス扮する梟が客観的な視点で見ている。ややわかりにくいが現代社会に生きる者へ示唆を与えるのではないか。


 
 岩熊力也(1969〜)
 透過性の高い薄いポリエステルの布地にアクリルによる絵画何点もの展示である。おぼろげな作品でややわかりにくいがどれも風景を描いているようだ。ポリエステルの布を張った木枠が格子状に透けて見える。多くの絵画の中に1点のビデオ作品《残火 101225》(2010)が映っていた。見ると同名の絵画の制作過程を具体的に示している。これで分かった。いずれも描くとすぐに絵具が画面に浸透しおぼろげな形が現れる。透過性の高い布だからであろう。制作過程が分かりより親しみを感じた。全体に独特の雰囲気を持った作品だ。木枠の格子が障子のように見えるからだろうか、それとも枠に風景画が描かれ襖を想像するからだろうか。アクリルを使用した作品だが日本的で水墨山水画が想起される。透過性の高い布地に描き自分の意図を超えた滲むような風景を表現する。発想が面白い。

岩熊力也《reverb(無頭のスフィンクス、逃げるウサギ、偽ウサギ)》2007年 アクリル/ポリエステル、木枠 高橋コレクション蔵 撮影:末正真礼生 写真提供:コバヤシ画廊



バードヘッド《無題》2010年
ゼラチン・シルバー・プリント

 
 バードヘッド
 バードヘッドは、上海生まれのソン・タオ(1979〜)とジ・ウェイユィ(1980〜)によって2004年に結成されたユニット。作品は2点、《唐詩―幽州ノ台ニ登ル歌》と《過去、現在、未来で手にするものはすべて同じ》である。前者は中国初唐時代の代表的詩人の陳子昴(ちん すごう)の詩の展示である。過去の人も未来の人も共に語りたくとも会うことができない。戦国時代の遺跡の中で悠久の時の流れを考えひとり涙するとの内容。孤独感、空虚感を表現しているようだ。後者は中国上海の日常の姿を撮った多くの写真である。破壊と創造とを繰り返しながら経済発展する上海の現況に直面する一方この中にいる若者の存在はあまりにも小さい。そんな中で感ずる若者の孤独感、空虚感を何枚もの写真に収めている。いつの時代でも同様の寂寥感のようなものがある。陳子昴の詩はこれを乗り越えるべき糧としてここに用いたように思える。若者の感ずる現中国、上海の一幕かもしれない。

 今回の展覧会は絵画、写真、映像、立体、陶器、インスタレーションなど広い範囲に亘っていた。絵画では硬質の支持体に描かれたものや透過性のある布に描かれたものなどのほか、スカーフやストロー、フィルムなど日常品を使って本来の用途からは想像もできない作品としたもの、メルフスやバードヘッドように社会への言及表現だと思われるもの、また松江や中井川のように独自のコンセプトを押し出して制作するものなど広い範囲に及んでいた。大きな流れのないこの時代にそれぞれが独自の考え方によって制作に励んでいる様子が見て取れるようだった。僅少例だがこれらの作品から現代の傾向のいくつかを感じとることができたように思う。毎年のことながら興味ある展覧会だった。



 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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