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美術散歩


現代アート盛り沢山−瀬戸内の島「直島」

TEXT 菅原義之


高松宇野間連絡フェリー


草間彌生≪赤かぼちゃ≫直島宮ノ浦港
 今頃になって“直島”とは遅きに失した感ありかもしれない。以前から美術愛好の仲間と直島行きを話し合いながら実現しなかったからだ。「瀬戸内国際芸術祭2010」が契機となった。今度こそ行こうと話し合った。瀬戸内なら直島、直島なら1日はベネッセ泊りだ。でも、予約が取れず芸術祭はやむなく断念。乗りかかった船だから“行っちゃえっ!”と11月行きとなった。静かでいい旅だった。


大巻伸嗣《Liminal Air-core-》高松港

 直島は、現代アート盛り沢山で知られる瀬戸内の島。これだけしか予備知識はなかった。直前になって調べたが、実際に見るのとは雲泥の差だった。
 行って驚いたこと。1つは、外人が多かったことだ。たまたま知り合った外人男性はオランダからきていた。3週間のデイ・オフできたとのこと。他にもベネッセハウス内はもちろん、島のあちこちで夫婦連れ、グループを見かけた。直島は日本より外国で知られているのかもしれない。
 もう1点は、島全体が裕福に思えたことだった。アート以外何もない瀬戸内の小さな島という観念が吹っ飛んだ。家の造り、庭の様子など羨ましいほど。「のり」と「はまち」の養殖が盛んなのだ。気候温暖の地、水産資源の宝庫だと分かった。
 数々の島とはるかに見える瀬戸の大橋、自然と人工の見事な調和。風光明美とはこのことを言うのかもしれない。瀬戸内を行き交う船を見ながら休息のひと時、芸術祭のときはさぞ大勢の人が訪れただろう。“ふと”こう思う。あまり人が多いので「直島が沈むかと思った」とは地元の人の言。ベネッセハウス泊の予約がとれなかったのは当然だった。周囲16キロ、人口3300人ぐらい、一挙に芸術の島となり、住民にも浸透していったようだ。
直島から見る瀬戸内風景


草間彌生≪南瓜≫

 1日目は、月曜日ということもあって美術館や家プロジェクトは休み、見るところがいっぱいあるので無駄ではなかった。まず「ベネッセハウス」。ここはホテル兼ミュージアムだ。作品は建物のあちこちに40点ほど。大小さまざま、平面あり立体あり、国内外アーティストの作品が展示されていた。現代美術の宝庫といっても過言ではないほど。印象に残った2点の1つは、ナムジュン・パイクの≪金魚のためのソナチネ≫(1992)。目立たない小さな作品である。パイクといえばテレビ。部屋の窓側に小さな時代遅れのテレビが置かれ、よく見ると何やらが動いている。外側はテレビ、中に金魚鉢が。金魚が動いていたのだ。“何これっ!”。発想が面白い。驚くほどだ。
 もう1点は、ヤニス・クネリス≪無題≫(1996)。流木とか地元で要らなくなった木片と陶器類など、いわば廃棄物を鉛の板で海苔巻状に巻いたもの。これをいくつも窓際一面に積み重ねた作品である。一番下に20本ほど並べ、その上に何段も天井まで重ねる。切り口が見える。中身は土地のものを取り入れ親近感を盛り込む。年月の経過によって重みで下の部分がやや押しつぶされ、天井と作品の間に隙間がその痕跡を物語っていた。重厚感と親近感ある切り口の表現の集合体、これが素晴らしかった。
 また、ハウス外部にもいくつもの作品が。突堤に際立つ草間彌生の黄色い≪南瓜≫、石と緑に囲まれた蔡國強の≪文化大混浴≫は、それぞれ環境と見事に調和していた。


蔡國強≪文化大混浴≫

地中美術館へのアプローチ

 
 2日目。安藤忠雄の設計で知られる「地中美術館」。自然との調和をコンセプトに外部は控え目。中はモネ、ジェームス・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品の展示である。
 モネ。睡蓮の作品5点、白壁を背景にモネ晩年のジヴェルニーでの作品だろう。紫が目立つ。一部抽象絵画のよう。よくこれだけ集めたものだと感心する。見ているうちに、なぜここにモネが?“ふと”思う。現代美術館にいきなりモネである。5点は1914から26年までのもので、目が不自由になっていった時代。作風から近代から現代へのジョイント役を果たしているようにも思えた。もう一つ、この美術館へのアプローチ、道路の脇にジヴェルニー風の池と庭が。これも安藤の設計だろう。凄い。写真を何枚も撮った。
 ジェームス・タレル。3点の作品中≪オープン・フィールド≫(2000)が目立った。作品の前に立つと向こうに青い光を放った長方形の空間が見える。係員の案内で数人が横一列に並び、段をあがり、さらに一歩二歩前進し長方形空間に近づく。奥行きがあるのかどうか?日常生活では味わえない不思議な感触を味わう。しばらくタレルの世界に浸り、青い光の空間から振り返ると一面オレンジ色。白い壁面が変わって見えた。タレル効果といってもいいかもしれない。補色の残像効果だろう。光と色の魔術に出合ったようでもあった。
 ウォルター・デ・マリアの作品≪タイム/タイムレス/ノー・タイム≫(2004)。それは何段もある階段状の大きな部屋にあった。中央には黒味を帯び磨きあげられた大きな球状の石が。天井にある長方形の窓からの光が石に映る。周囲には3本一組の金色に輝く柱が左右ほぼ対称にいくつも置かれている。柱は3角、4角、5角柱。なぜか?と思う。周囲はコンクリート打ちっぱなし。何とも言いようのない光景だ。なぜか神聖さ、荘厳さを感じさせる。中央の石は、インド産の花崗岩をドイツで研磨、重さ14トン。天井ができる前に搬入したそうである。


李禹煥美術館 

 
李禹煥美術館」は今年6月に新設。地中美術館と同様のコンセプトで建設されていた。目立たず山に埋もれるように思えた。ここには李禹煥のこれまでの活躍をフォローするかのように数々の立体、平面作品が展示されていた。



大竹伸朗≪舌上夢/ボッコン覗≫

 
 「家プロジェクト」は、本村地区にまとまっていた。過疎化、高齢化などで廃屋となった家を美術作品展示の場として活用したもの。「はいしゃ」、「碁会所」、「角屋」、「南寺」、「護王神社」など過去の名称の踏襲か。
 須田悦弘の作品は「碁会所」に。左右の和室2部屋に設置。向かって左の部屋には畳の上に直接ツバキの花20点ほどが部屋の真ん中に置かれ、まるで主役。庭には花を暗示するようにツバキの木が1本植えられていた。右の部屋を見た。仕切りだけで“あれっ!何もない”。周囲をくまなく探したが何もない。係の人がこの仕切りをよく見てください、と。“あっ!そうか”竹の仕切りに見えるが、木で作った作品だった。発想が凄い。憎いほどだ。遊び心表現かもしれない。
 宮島達男は「角屋」に。入ってすぐの部屋の中央は一段低くなっており、そこには水が張ってある。その中に赤、青、黄などのLEDデジタルカウンターがいくつも設置され、それぞれのスピードで数字が変化していた。うす暗い室内である。スピードの速いもの、遅いもの、島の人たちがスピードを設定したものだそうである。それぞれが自分自身の道を歩んでいるかのようだった。
 タレルの作品は「南寺」に。中に入る。真っ暗で全く分からない。案内人の言うままに、壁に手をやりながら壁伝いに進んで部屋に入り座った。「光りが識別できたら立ちあがって光りの方に進んでください」である。時間が経ってだんだん分かってきた。光が少しずつ明るくなってくるからかと思っていたが、目が慣れて識別できるようになったからのようだ。立ち上がり光源に近づき確かめた。分かるようで分からない不思議な空間だった。
 この他、古くなった「護王神社」は、杉本博司が再建を依頼され、新たに作り直した。千住博の作品は「石橋」に。見事な近作の風景画と有名な滝の絵。滝の下の床が光り輝き水面の様相を呈していた。


護王神社






犬島精錬所跡


犬島行高速艇


 3日目。高速艇で犬島へ。ここでは「犬島アートプロジェクト精錬所」を見た。廃墟となった銅の精錬所の一部を美術館として再建。そこに太陽や地熱などの自然エネルギーを利用した環境を造り、同時に日本の近代化に警鐘をならした三島由紀夫をモチーフにした柳幸典の作品を設置したとのこと。また、植物の力を利用した高度な水質浄化システムを導入している。全体が文字通りエコロジー設計だ。「犬島アートプロジェクト」のコンセプトはここにあるようだ。美術館部分には1本だけ煙突がしっかり立っていた。煙突が室内の通風を図り室温調整しているんだろう。そのほかは何本もある煙突のほとんどが半壊状態。あるのは特殊レンガで造った部屋の仕切りだけ。まるでローマの廃墟を見るようでもあった。
 入ると狭い暗い通路が続く。正面に小さく明るい出口が見える。“何だろう?”と思う。ところがここまで行くと出口ではなく、鏡が斜めに置かれ直角に曲がれである。案内嬢の「ぶつからないようにしてください」とはこれだ、と。曲がって進む。同様に出口が、これも鏡。何回も何回も続けてやっと光源にたどり着いた。面白い発想だ。これも太陽光を取り入れたエコロジー設計だった。
 この通路を通過して建物の中央部へ。大展示場である。三島由紀夫の家の部材ほか、犬島の石などを使って造った一見異様に見える作品。やや暗い室内に家の部材が目立つようにあちこちに設置。高い天井の背後から洩れ出る光が家の部材や天井の間隙に映り見事だった。

 3日間を瀬戸内で過ごした。瀬戸内をこんなにじっくり見るのは初めてだった。多くの船が絶えず行き交う。島々が見える。高松の街を遠望する。こんな風景に接し日本の素晴らしさを再確認した。作品も多く見た。内容も充実していた。建物も含めてアートと自然とが見事に調和していた。世界でもこんな環境は見つけ難いのではないか。環境に圧倒されたが、振り返ってみると作品自体は実はこれまでに見て来たものが多かったように思う。この点で作品数は少なかったが直島より犬島の方に目新しさがあった。
 
 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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