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美術散歩


「レクイエム=鎮魂」から生まれるもの

TEXT 菅原義之






 東京都写真美術館で開催された「森村泰昌・なにものかへのレクイエム―戦場の頂上の芸術」展は、美術家森村泰昌(1951〜)の個展で、森村の総力を結集した21世紀初めの大作というに相応しいものだった。  
 森村は、21世紀に入った現在、時代は前へ前へと突っ走っているかのように思える。一旦足を止め20世紀という過去を振り返り、未来へ受け継ぐべきものを思考すべきではないか、という。20世紀は激動の時代だった。その20世紀を見つめ直すこと。これを森村は「レクイエム=鎮魂」だという。
 「森村泰昌・なにものかへのレクイエム」展は、この考えをベースに20世紀を振り返りながら主要な出来事を取り上げ写真、映像によって展開していくもので、一連の作品群から構成されている。
 森村作品の特徴は、セルフポートレートである。ここでは、それぞれの時代を取り上げ登場人物に森村自身がなり変わるものだ。
 ゴッホの≪包帯をしてパイプをくわえた自画像≫は、ゴッホの耳切り事件後ゴッホが耳に包帯しているところを描いたセルフポートレートだ。85年に森村は、この絵の中のゴッホに代わって入り込み≪肖像(ゴッホ)≫を制作した。これが反響を呼び、以来多くの名画の森村版を制作してきた。森村は歴史上の名画に登場するほか、モナリザ、マリリン・モンロー、ヘップバーン、フリーダ・カ―ロなど女性のセルフポートレートにも入り込み女性になりきってきた。今回の作品は20世紀の歴史を動かした人物に焦点を当て制作したもので、ここでは男性に扮したのだ。
 内容は次の4章からなっている。

「烈火の季節」
なにものかへのレクイエム(ASANUMA1 1960.10.12-2006.4.2)2006年


なにものかへのレクイエム(MISHIMA1970.11.25-2006.4.6) 2006年

 
 ここでは、三島事件、浅沼稲次郎暗殺事件などの登場である。森村は高校時代に三島由紀夫を愛読し、影響を大きく受けていたようだ。70年の三島事件の報に接した時、強い衝撃を受けたという。これがこの作品制作のきっかけになったのではないか。
 三島は「楯の会」会長として自衛隊にクーデターを促し失敗し、割腹自殺を遂げた事件で世間を騒然とさせた。森村が三島になり変わり、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯時で自衛隊のクーデター決起を唱えて鉢巻き、服装など当時の三島のいで立ちで演説を行う。これまで女性像を多く見て来たので森村の演説は迫力が感じられた。
 また、60年には日比谷公会堂で演説中の日本社会党委員長浅沼稲次郎が17歳の右翼少年によって暗殺された事件があった。社会党委員長の暗殺事件なので反響は大きかった。これに森村がなりきって登場。浅沼稲次郎と少年の両者を森村が演じている。周りの人物も森村だった。
 そのほか、68年にサイゴン警察が捕虜として捉えたべトコン兵士が、路上で射殺されるところ、63年アメリカ大統領ケネディの暗殺者オズワルドが暗殺される瞬間などの森村版があった。激動の20世紀、主義主張の行き違いによる問題の表れを取り上げていた。

「荒ぶる神々の黄昏」

なにものかへのレクイエム(夜のウラジーミル 1920.5.5-2007.3.2)2007年


なにものかへのレクイエム(独裁者はどこにいる1) 2007年

 
森村は、20世紀の大きな思想の変遷を取り上げると「ロシア革命」、「ファシズム」、「アメリカ」だという。いずれも日本に大きな影響を与えたであろう。
 「ロシア革命」について、レーニンの演説場面を取り上げ森村が演じている映像である。レーニンはモスクワ赤の広場で労働者を相手に演説を行ったが、レーニンになり変わった森村は大阪の釜が崎でやはり多くの労働者に対して演説を行っている。ところがこの労働者は森村の報酬付きで雇った人たち、それほど今は不景気でここに来ても意味ないので集まらないようだ。森村扮するレーニンはすぐに分かる。特徴をよく抑える森村の変身ぶりのなせるわざかもしれない。
 「ファシズム」では、チャップリン演ずる映画「独裁者」のチャップリンに森村がなりきり、実質的な独裁者ヒットラーを演じている。ところが帽子のエンブレムが「笑」の一字。この独裁者の演説内容もしきりに独裁者批判だった。「笑」のエンブレムと独裁者批判が面白い。森村オリジナルがあちこちで見られた。
 なお、「アメリカ」については、「1945・戦場の頂上の旗」の項で取り上げられていた。


 

なにものかへのレクイエム(創造の劇場/ジャクソン・ポロックとしての私)2010年
 
「創造の劇場」
 20世紀の芸術家を10名選び、森村版セルフポートレイトを制作。森村は、この10名について「私の選んだのは、ピカソ、藤田嗣治(レオナール・フジタ)、手塚治虫、エイゼンシュテイン、ポロック、ウォーホル、デュシャン、イヴ・クライン、ダリ、ボイスです。皆さんはどのように選びますか」という。
 せっかくなので私も選んでみた。まず、デュシャン、ウォーホル、ボイス、ポロック、ピカソまでの5名は同感である。日本人を入れると当然藤田嗣治(レオナール・フジタ)だ。6名になる。後はと考えたが、残る4人を選ぶとなると難しい。結局私の場合は結論が出なかった。でも10名中6名までは意見が一致したので私としては満足だった。ちなみに私の選んだ上記5名は頭に浮かんだ順。
 藤田はおかっぱ頭とメガネがよく似ている。後ろにいる3名の裸婦はすべて森村が演じている。藤田を含めて森村が4人登場していた。
 ポロックの作品はどうか。あの有名なドリッピング場面はポロックそのもの。ところが周りを見ると森村の作品、なぜか、ダ・ヴィンチの≪大洪水≫もある。ポロックの特徴をよく捉えた森村オリジナルだった。
 デュシャンである。広い画廊?でデュシャンが裸婦ローズ・セラヴィと真っ白いテーブル上でチェスをしている。チェスはオノ・ヨーコの作品≪ホワイト・チェス≫だそうだ。「できるかな?」である。“あれっ!”廻りの壁にある作品は森村のものだ。テーブルのすぐ後ろはデュシャンの≪大ガラス≫東京ヴァージョンである。デュシャンの前で東京ヴァージョンとは?である。
 もう一人ボイスを見よう。ボイスのトレードマークは中折帽とベスト着用だ。ボイスは黒板を使っていろいろ書くようだ。ボイス風森村は帽子とベストを身に付けて黒板の前に座っている。背後の黒板に書かれているのは、宮沢賢治の詩のドイツ語訳だそうである。宮沢賢治を森村は好きだということ、宮沢の郷里が岩手県で北国をイメージしドイツと重なるように思うからだそうである。
 すべてが森村のセルフポートレイトだというだけでなく、同時に森村作品を取り込むなど森村オリジナルをいかんなく発揮し、森村の考え方が細部にまで浸透しているのには感心した。それだけに面白い。10名すべてに当てはまる特徴だろう。



なにものかへのレクイエム(創造の劇場/マルセル・デュシャンとしての私[ジュリアン・ワッサー氏撮影のイメージに基づく])
作中作品:マルセル・デュシャン《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス、東京ヴァージョン)》
東京大学教養学部美術博物館蔵 (C)Marcel Duchamp Foundation


なにものかへのレクイエム(創造の劇場/ヨーゼフ・ボイスとしての私)2010年


 

なにものかへのレクイエム(記憶のパレード/1945 年アメリカ)2010年





 
「1945・戦場の頂上の旗」
 初めに昭和天皇とマッカーサーの写真が映っていた。両者とも森村のセルフポートレイトである。見た瞬間45年終戦時の新聞を思い出した。両者が並んで立っている写真である。あまりにも背の高さが違うのに子供心に驚いたものである。その他、終戦を迎えニューヨークのタイムズスクエアで戦勝の歓喜に沸きたつ兵士と恋人のキスシーンや観衆の様子が森村版で制作されていた。
 インドのガンジーの何もまとわず裸でひたすら非暴力、非服従の運動を続けている様子を撮った写真が印象的だった。森村版ガンジーである。あまり似ているのに驚く。
 最後のコーナーには≪海の幸・戦場の頂上の旗≫と題した森村版映像作品があった。45年の硫黄島の情景のようだ。20分ほどの映像作品である。
 一人の日本兵が海岸で自転車を引きながら砂浜を歩いている。荷台には何やらガラクタが積まれている。砂地にあえぐ兵隊と自転車。体力の限界で倒れる。気がつくと真っ白な衣服をまとった女性が立っている。衣服がするすると脱げ、やがて血で滲んでいく。アメリカ兵が銃を持ってやってくる。血に染まった衣服を海で洗い、白旗として使う。敗戦の意思表示だ。硫黄島の擂り鉢山に全員で白旗を上げる。日本兵を先頭にアメリカ兵と共に6人で長い棒になにやらを吊るして海岸を歩いている。その様子は青木繁の≪海の幸≫の森村版だ。最後に女性が赤いベーゼンドルファーで奏でていたのは「鎮魂の歌」であろう。この女性はマリリン・モンローか。

 全般に森村オリジナルがあちこちに張り巡らされ、単にセルフポートレイトとは異なる作品群だった。その創造力たるや見事の一語。しかも、面白い、分かりやすい、どれもあまり長くないなどポイントを押さえている。20世紀を振り返り今後の礎にするに相応しい21世紀初頭の大作だった。

 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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