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美術散歩

セザンヌ礼讃

TEXT 菅原義之


「セザンヌ主義」展フライヤー

 年が変わってから横浜美術館で「セザンヌ主義」展を見た。セザンヌとその影響を受けた画家たちの作品展だった。こんなにまとまってセザンヌを見るのは初めてだったのでセザンヌの作品を中心に見た。人物画、風景画、静物画などいろいろ展示されていた。セザンヌというと何と言っても静物画が気になる。今回は以前ポーラ美術館で見た静物画≪ラム酒の瓶のある静物≫(1890年頃)をじっくり見た。テーブルの上にあるラム酒の瓶と果物を描いたものだ。テーブルの中央にナプキンが無造作に置かれているように見えるが、ここが大事だろう。この左右でテーブル手前の稜線が合わない。連続していない。変な絵だと思うが、視点を上下に変えて描いたのでテーブルの前後幅が合わないからだろう。ナプキンを置いて不自然さのないように表現している。
 セザンヌがこの絵画を描いたのが1890年というからこの頃にはすでにこのような描き方をしていたようだ。セザンヌに関する図書を見るといろいろな例が載っている。例えば、≪果物籠のある静物≫(1888〜90年頃)も明らかに複数視点から見て描いている。立体を絵画という平面上に描くのにセザンヌは苦労し研究したそうである。長い歴史を持ついわば伝統的な一視点から見る遠近描写がここでは取り入れられていない。複数視点から見て描いている。これまでの歴史を放棄する、無視する方法を採ったといえるだろう。研究のなせる業か。凄い。

 セザンヌ主義展なのでセザンヌの影響がいかに大きかったか、その度合いを見ることもできた。日本の画家も含めて多くがセザンヌの影響を受け、傾倒している様子がよくわかった。あまりの多さに驚いた。これらの画家の作品も多く展示されていた。ゴーギャン、ベルナール、ドニ、マチス、ドラン、ピカソ、ブラックほかであり、日本人画家もかなりの数だった。フランスに行っていない岸田劉生、日本画の小野竹喬もその影響を受けているのが分かる。意外だった。セザンヌの影響力がいかに大きかったか改めて知らされた。

 1906年にセザンヌは没するが、すぐそのあとピカソとブラックがこの方法を発展させ、キュビスムが登場する。対象物を解体して多視点から見る方法で再構成するいわゆる立体主義である。
 1910年代にはキュビスムに距離を置く画家でさえも一時この影響を受けて描いた時期があったようである。シャガール、藤田嗣治などもそうではなかったか。すぐに名前が出てこないが多くの画家がそうであろう。
 つい先日、埼玉県立近代美術館の「MOMAsコレクション」展で田中保(やすし)の絵画を見た。今見直されている画家だそうである。1915年にシアトルで田中はキュビスムの絵画を描いている。ピカソがパリで描いたのが1910前後。ニューヨーク経由であろう、シアトルにいる田中にまでこの影響が及んでいる。キュビスムは当時の世界を席巻したといえるかもしれない。

 ところで抽象絵画も20世紀の産物だ。自分自身の体験から抽象に入った画家もいる
が、キュビスムが抽象絵画の展開に決定的な役割を果したそうである。ピカソ、ブラックの前半期のキュビスム作品を見ると抽象絵画のようだ。抽象絵画と呼ぶ人もいるかもしれない。オランダのモンドリアン、ロシアのマレービッチなどはキュビスムの影響を受けて抽象絵画を描くようになったのではなかったか。
 20世紀に入るとキュビスム、抽象絵画が誕生。絵画の世界はこの世紀に入るや「ガタガタ」音を立てるように変わっていった。音はその後も「ずっと」鳴り響いた。元をただせばセザンヌがこのきっかけを作り、ピカソ、ブラックが力強く牽引したからであろう。もしセザンヌがいなければ歴史は変わっていたかもしれない。凄い。まさに感動的だ。

 その後も大きく変わり続けたのはなぜか。セザンヌ、ピカソの出現のほかに、2回の世界大戦が影響したのは当然であろう。第一次世界大戦によってダダイズム・シュルレアリスムが出現する。第二次世界大戦後に世界の美術の中心がパリからニューヨークに移るなどである。第二次大戦直前に20世紀の大作であるピカソの≪ゲルニカ≫(1937年)が誕生したのもスペイン北部の小都市ゲルニカへのドイツ軍の爆撃からだった。

 戦後、抽象表現主義の絵画がアメリカで開花し、ニューヨークは美術の中心地となった。ポロック、デ・クーニング、ロスコ、ニューマンほか多くのアメリカ人画家が誕生した。この時が抽象絵画の一つの大きな山場だったのではないか。


「トゥルー・カラーズ」展フライヤー



   話は飛ぶが、先日府中市美術館で「トゥルー・カラーズ・色をめぐる冒険」展を見た。7人のアーティストの作品展だった。何人かの作品が印象に残った。今澤正もその一人だった。今澤の作品を見た瞬間、抽象表現主義の代表的画家であるロスコとニューマンが頭をよぎった。「あれっ!」両者に似ている。瞬間「なーんだ」と思ったが、さらによく見た。違う。ロスコやニューマンほかにヒントはあったかもしれないが、独特の精神性を備えている作品に思えた。なぜか?表現が難しいが、1つは色彩がいい。特に「地」の色と言っていいのか?グレーが素晴らしい。引き込まれるようだった。この色彩は、何色もかけて制作したものだそうである。しかもグレーと一言で言うが、よく見ると部分的に水平、垂直に区切ってかすかに色彩を変えている。また、グレー部分に赤、青の鮮やかな色彩のストライプ、スクエア系色面が描き込まれグレー上に際立っている。「地」と「図」の逆転?もあるのか。色彩の取り合わせもいい。グレーの深み、グレー上のかすかな色面のヴァリエーション、鮮やかな赤、青のストライプ、スクエア系色面、取り合わせの良さ、奥行きの感触など独特の世界に我々を引き込むかのようである。素晴らしい抽象絵画だった。

 話はとんだところまで来てしまった。府中の作品まで来るとセザンヌとの因果関係をどうこうする気持ちはないが、セザンヌを現代の視点で見ると単線的な見方だが、なぜかこんな流れを考えてしまう。セザンヌの時代を超えた画期的手法に魅力があるのか、キュビスムが強い印象をもたらしたからか、素晴らしい抽象絵画を見たからなのか、である。たまたま「セザンヌ主義」展と「トゥルー・カラーズ」展とをほぼ同時に見たのも手伝っているのかもしれない。やや大げさにいえば100年以上にわたる絵画の世界を俯瞰したかのようでもあった。
 こんな風に考えると「20世紀美術(絵画)はセザンヌから始まる」と言っていいのではないか。そして20世紀はどの世紀にもなかったほどの変わりようだったと思うがどうだろうか。アートの世界は今後どうなっていくのか。20世紀を超えて新しい世紀を体験できる素晴らしさを今味わっている。


 
   
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社勤務、退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。

ウエブサイト ART.WALKING

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。

 

 

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