「横浜トリエンナーレ」を見る
TEXT 菅原義之
作品を見てみよう。回った順にまず三渓園から。 ここではなんといっても中谷芙二子(1933〜)の《雨月物語―懸崖の滝》が目立った。三渓園の奥まった木々の茂った山中を思わせる谷間のせせらぎに一面霧が立ち込めている。「霧の彫刻」とのこと。面白い表現だがまさにそのとおりである。霧が森の木々、谷間とせせらぎを覆いつくすように立ち込め、幻想的な世界をかもし出していた。
新港ピアはメイン会場である。 ペーター・フィッシュリ(1952〜) & ダヴィッド・ヴァイス(1946〜)の作品は《ネズミとクマ》(2008)と《ネズミとクマのフィルムの一部》(2008)の2点。前者は、大きなネズミとクマのぬいぐるみが床上に横たわっていた。「あれっ!」よく見ると呼吸している。これは映像作品のキャラクターだそうである。後者の映像はネズミとクマの子供が宮殿?の舞踏会場を思わせるすばらしい部屋で遊んでいる。突然両者の母親?が現れる。逃げたり、つかまったりのユーモラスな光景が展開されていた。環境とそこにいる動物の見事なまでの不釣合いも面白かった。
ペドロ・レイエス(1972〜)の作品《ベイビー・マルクス》(2008)。人形と映像の両作品があった。マルクス、エンゲルス、毛沢東、レーニン、ゲバラ、スターリン、アダム・スミスなど歴史上の人物のユーモラスな人形が展示されていた。特徴をよく捉え面白い。ちょっと離れてこの人形登場のヴィデオが流れていた。ひとつの歴史上の流れを表現している。この環境にぴたりの音楽つきである。大冊資本論を家庭用の電子レンジに入れて爆発させる、マルクスとアダム・スミスが喧嘩するなどユーモアを交えた映像も面白かった。
ミケランジェロ・ピストレット(1933〜)。作品《17マイナス1》である。大きな部屋に額つきの大きな鏡が全部で17枚、「コ」の字型に並んでいた。大半が木槌で割られ、破片が散乱している。展示後木槌で一つ一つ割ったものだろう。きれいな鏡が跡形もない。現代の世界には矛盾、緊張、暴力、差別などがいたるところに見られる。この鏡が端的にそれらを表現しているかのよう。真ん中にひとつ無傷の鏡があった。これこそわずかに心の支え、救いを表現しているのかもしれない。強烈な作品だった。トリエンナーレのタイトル、タイムクレバスにふさわしい作品ではないか。17枚の同じ鏡がどれひとつ同じに見えなかった。発想もすばらしかった。
赤レンガ倉庫では映像作品が多かった。 人気があったのはミランダ・ジュライ(1974〜)の《The Hallway》。土曜日だったせいか、見るのに20分ほど待った。廊下を通過する作品である。廊下の壁から何やら書いてある袖看板のようなボードが左右から交互に出ている。この廊下をジグザグに読み進んでいくもの。誰でも長い人生の中でいろいろなことに遭遇する。その特徴的な部分を作家は取り出して袖看板に書き込んでいるようだ。人生の経過を感じさせ思い出させようとしているのかもしれない。通過する中で誰でも何かを感ずるのではないか。指摘されたかのようだった。