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美術散歩

「横浜トリエンナーレ」を見る

TEXT 菅原義之

 期待していた横浜トリエンナーレは、70人以上のアーティストが参加、横浜の港を中心に7箇所に分散して開催された。チケットは2回通用券。2回でほとんどの作品を見ることができた。主会場の新港ピア、赤レンガ倉庫、日本郵船倉庫は横浜港に面したところ。相互によく見える位置にあるが、歩くと結構あった。海に面した会場、倉庫などを歩きながら、同様の環境にあったヴェネチアビエンナーレをふと思い出してしまった。
 今回のトリエンナーレのタイトルは「タイムクレバス(ときの裂け目)」である。世界にあるいろいろな矛盾、緊張などをそれぞれのアーティストがどのように読み取って作品化するかが課題だそうである。




 作品を見てみよう。回った順にまず三渓園から。
 ここではなんといっても中谷芙二子(1933〜)の《雨月物語―懸崖の滝》が目立った。三渓園の奥まった木々の茂った山中を思わせる谷間のせせらぎに一面霧が立ち込めている。「霧の彫刻」とのこと。面白い表現だがまさにそのとおりである。霧が森の木々、谷間とせせらぎを覆いつくすように立ち込め、幻想的な世界をかもし出していた。




 内藤礼(1961〜)の作品はその近くのかやぶき屋根の茶室にあった。外から茶室をのぞいて作品を見る仕掛けになっている。小型電熱器が2台置かれ、その上に細い糸のようなものが吊るされている。電熱器の熱で糸が揺れる、舞い上がる。静かな茶室の片隅にゆらりと揺れていた。繊細な表現だが、なぜか心が安らぐ。琴線に触れる一瞬、茶室にぴたりの感じだった。電熱器がやや不釣合いに思えたが。
 外に出るとこの近くまで一面に霧が立ち込め、横浜にいるとは思えない雰囲気をもたらしていた。



 新港ピアはメイン会場である。
 ペーター・フィッシュリ(1952〜) & ダヴィッド・ヴァイス(1946〜)の作品は《ネズミとクマ》(2008)と《ネズミとクマのフィルムの一部》(2008)の2点。前者は、大きなネズミとクマのぬいぐるみが床上に横たわっていた。「あれっ!」よく見ると呼吸している。これは映像作品のキャラクターだそうである。後者の映像はネズミとクマの子供が宮殿?の舞踏会場を思わせるすばらしい部屋で遊んでいる。突然両者の母親?が現れる。逃げたり、つかまったりのユーモラスな光景が展開されていた。環境とそこにいる動物の見事なまでの不釣合いも面白かった。



 シルパ・グプタ(1976〜)の作品《見ざる、言わざる、聞かざる》である。一瞬日光の東照宮が浮かんだ。「えっ!」インドにも同様の金言があるとは。知らなかった。インドの子供たちが大勢一列になって次々に前の人の目、口、耳を押さえている写真である。海岸とか高原などすばらしい環境の中でそんな仕草をしているのが印象に残った。4枚の写真は背景もさることながら大きさもすばらしかった。よくもこんなに拡大できるものかと。



 ペドロ・レイエス(1972〜)の作品《ベイビー・マルクス》(2008)。人形と映像の両作品があった。マルクス、エンゲルス、毛沢東、レーニン、ゲバラ、スターリン、アダム・スミスなど歴史上の人物のユーモラスな人形が展示されていた。特徴をよく捉え面白い。ちょっと離れてこの人形登場のヴィデオが流れていた。ひとつの歴史上の流れを表現している。この環境にぴたりの音楽つきである。大冊資本論を家庭用の電子レンジに入れて爆発させる、マルクスとアダム・スミスが喧嘩するなどユーモアを交えた映像も面白かった。

 



 クスウィダナントa.k.a. ジョンペット(1976〜)の作品もよかった。作家の故国インドネシアの軍楽隊?の行進風景を作品化したものだろう。壁面には映像が映る。時々ドラムが高鳴る。正面には帽子、制服、長靴、楽器などを天井から吊って整然と並んだ楽隊を表現している。異様だが行進風景そのものだ。特に真正面から見ると見事だ。アイディアが面白い。映像と音響とがマッチした楽隊行進風景が展開されていた。



 ミケランジェロ・ピストレット(1933〜)。作品《17マイナス1》である。大きな部屋に額つきの大きな鏡が全部で17枚、「コ」の字型に並んでいた。大半が木槌で割られ、破片が散乱している。展示後木槌で一つ一つ割ったものだろう。きれいな鏡が跡形もない。現代の世界には矛盾、緊張、暴力、差別などがいたるところに見られる。この鏡が端的にそれらを表現しているかのよう。真ん中にひとつ無傷の鏡があった。これこそわずかに心の支え、救いを表現しているのかもしれない。強烈な作品だった。トリエンナーレのタイトル、タイムクレバスにふさわしい作品ではないか。17枚の同じ鏡がどれひとつ同じに見えなかった。発想もすばらしかった。

 



 マーク・レッキー(1964〜)の《白い巨大な蛮族の行進》は一種の映像作品だろう。次々に変わっていく写真と音楽(歌)の組み合わせである。音楽はテンポが速く現代風で歯切れがいい。大きな戸外の背景を交えて彫刻作品が次々登場する。パブリックアート作品の紹介のようでもある。「落ち着いた彫刻」と「現代風音楽」。異質ながらも「ずれ」の面白さを表現していた。「あっ!」。リチャード・セラ?バルケンホール?こう思うと余計面白い。単純だがこんな表現方法もあるのかと感心した。



 ジョン・M.アームレーダー(1948〜)。強烈な絵画が部屋の3面に描かれていた。赤、黒、黄系の力強い太い線を上から下に描いた部分、表面が火山の噴火口のようにぎざぎざな裂け目を見せた部分、その前の床上にはその破片だろうか散乱していた。それぞれの部分の回りは何色もの太い枠で囲まれているかのようである。なぜか強く心に響く。現代の世相を表現しているのだろうか、タイムクレバスを感じさせる作品に思えた。



 

 赤レンガ倉庫では映像作品が多かった。
 人気があったのはミランダ・ジュライ(1974〜)の《The Hallway》。土曜日だったせいか、見るのに20分ほど待った。廊下を通過する作品である。廊下の壁から何やら書いてある袖看板のようなボードが左右から交互に出ている。この廊下をジグザグに読み進んでいくもの。誰でも長い人生の中でいろいろなことに遭遇する。その特徴的な部分を作家は取り出して袖看板に書き込んでいるようだ。人生の経過を感じさせ思い出させようとしているのかもしれない。通過する中で誰でも何かを感ずるのではないか。指摘されたかのようだった。

 



日本郵船倉庫内の作品である。
 最初に勅使川原三郎(1953〜)の作品《時間の破片》である。入るとすぐ暗いところに案内された。間口3メートル弱、高さ4メートル、奥行き10メートル以上もあるだろうか。左右壁面には一面に鋭利なガラスの破片が突き刺さり、床にはガラスの破片が厚く敷き詰められている。危険この上ない。目が慣れてくると音楽と光の効果がすばらしい。暗くなったり、明るくなったり、左右のガラスが光ったり、いろいろに変わる。この中でのパフォーマンスはすばらしいが恐ろしいだろう。足元は安定しない。転倒即大怪我である。まさにタイムクレバスに相応しい作品だった。パフォーマンスがなくとも見るべき作品であろう。

 

 ポール・チャン(1973〜)。床に映像が展開されていた。白地のスクリーンに黒い色の細かい破片のようなものが右から左へと移動していく。次から次へ現れる。時々大きな雲のようなものがスクリーンの大部分を覆いながら通過していく。時には破片が通過しながらスクリーン上で破裂し分散する。暗雲、破片、破裂、分散などの展開である。見ているうちに現代の世界を表現しているかのように思えた。タイムクレバスを強く感じさせる作品だった。


  その他のところ
 ランドマークプラザの吹き抜けホールにマイケル・エルムグリーン(1961〜)&インガー・ドラッグセット(1969〜)の巨大な作品《落っこちたら受け止めて》があった。飛込台とプールである。高さ10メートルもあろうか。飛込台から少年が速成の丸いプールにまさに飛び込もうとしている。飛込台の先端に立っている少年は恐る恐るの表情。この広い吹き抜け空間に異質の世界をもたらしていた。異質さが面白かった。多くの人たちが見て楽しんでいた。
   運河パークにあるチョウ・ミンスク(1966〜)とジョセフ・グリマ&ストアフロント・チームの作品《リングドーム》(2008)。鉄製の骨格に多くの白いフラフープを貼り付けてできた真っ白で大きなフラフープドームである。おわんを伏せたようだ。遠くから見ると蚕の眉の目の粗いものを想像させ見事だ。ライトアップされたリングドームもすばらしかった。2箇所ある出入口から容易に出入りできる。夕方のこと、幸運にもその内外で3人の若い女性が音楽にあわせてパフォーマンスをやっていた。楽しい光景を目にすることができた。

 以上が印象に残った作品である。この他にも掲載したい作品は何点かあったが、全般には作品数の割にこれはと思える作品が少なかったように思う。
 見ることができず残念だったのは、大巻伸嗣(1971〜)の作品《Memorial Rebirth》である。このアーティストは作品を通して人同士、人と作家とがつながることに重点を置いているようだ。これは現代アートの傾向のひとつではないか。これは大事なことで、作品を通してこの点を確認したかった。
 ここに記したアーティストは60,70年代生まれが多かった。この年代作家の特徴として、ユーモアがある、肩がこらないで見られる、面白い、発想がよく感心させられるなどの共通点があるように思う。一般の人にもわかりやすく、なじめる作品なのかもしれない。最近の傾向のひとつだろう。これも確認できたように思う。
 2回にわたり感心したり、驚いたり、楽しく見ることができた。今後も期待したいものである。

   
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社勤務、退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。

ウエブサイト ART.WALKING

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。

 

 

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