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美術散歩

「宮島達男 Art in You」展を見て

TEXT 菅原義之


同展フライヤー表紙

 水戸芸術館で「宮島達男Art in You」展を見た。新作の発表などもあり素晴しかったが、作品の種類が少なくやや物足りなさを感じた。
 宮島達男(1957〜)といえば、《Mega Death》(1999)、《柿木プロジェクト》(1996〜)を思い出す。これらは1999年のヴェネチア・ビエンナーレで見て強く印象に残っていたからだ。 
 《Mega Death》は2400個のLED(発光ダイオード)を使った作品である。青い光を放つ整然と並んだLEDがそれぞれ異なる速さで1から9までカウントする。ゼロにならずに光が消えたかと思うとまた1からカウントする。また、展示室にあるセンサーに人が触れると一瞬全LEDが消え暗黒の世界が訪れる。その後生命が復活するかのようにアトランダムに順次LEDが輝き始める。宮島は言う。「仏教の考え方では、人間の生命は『生』と『死』を繰りかえすと説かれています。つまり、『死』は終わりではなく、次の『生』を準備する睡眠のようなものであると言うのです」と。LEDの輝き一つひとつが『生』を、消灯は『死』を物語っている。全消灯する暗黒の世界は戦争による『人為的大量死』を意味していたのだ。
 『柿の木プロジェクト』は長崎で被爆した柿の木の実からある樹木医が種子を取り出し、二世の柿の木を育て、その苗木を子どもたちに渡し育ててもらっていた。宮島はこれを知って感動。『平和の意識を開く』、『人間の善性を開く』、そして『アートを開く』など新しい価値へ蘇らせようとの趣旨で《時の蘇生、柿の木プロジェクト》を始めた。今や20カ国143箇所で柿の木の植樹が実現しているそうである。

 以上の両作品から宮島のコンセプトが分かるようでもある。「Art in You」展はこのような考え方がベースになっていたといっていいだろう。換言すれば、《Mega Death》により、過去の戦争の反省を学び、《柿木プロジェクト》によりアートの力で平和の希求を呼びかけるという意味であろう。コンセプトが素晴しい。
 美術作品は一般にアーティストが制作し、鑑賞者が見るという相対(あいたい)の関係にある。宮島の「Art in You」の考え方はまったく異なり、「アートはあなたの中に棲んでいる」、そして「あなたのアートを表現し、伝える」べき、というアーティストと鑑賞者とが同方向向きの関係にあるのだ。

 「Art in You」には5つのステップがあるという。
第一のステップ  「外に出て新しい何かと出会う」こと。
     出会うのは人でも、場所でも、美術館でも、作品でもいい。出会いは刺激をもたらし、それにより眠っていた「アート」が動き始める。
第二のステップ  「自分に生きる」こと。
     各自の持つ「アート」作品の評価は本来比べられない。他を気にすることなく自分自身の判断で考えるべき。これこそオリジナリティ(固有性)であり、個性ともいわれるものだ。
第三のステップ  「想像力で他者と対話する」こと。
     「アート」は国境、言語、人種を越える。「アート」作品について作者(他者)と対話(心の対話を)すべき。そうすることで各自の想像力が発達する。その結果「アート」だけでなく他者の喜び、苦しみ、痛みまでを想像できるようになる。
第四のステップ  「死を感じ、生を輝かせる」こと。
     宮島は幼少期に大病した。入院生活中に同室の子どもの死を目の当たりにし生きていることの素晴しさと大切さを知った。他者の生死を思いやる気持ちが醸成された。
第五のステップ  「あなたのアートを表現し、伝える」こと。
     自分が感動したことを自分の言葉や自分の表現で伝えることである。そうすることであなたの中の「アート」は他者のうちで活かされ、社会へと広がる。
 以上5つのステップを実行することにより宮島は「アート」の力で社会を少しでも変革し、平和を築き上げようとする。これが「Art in You」の目指すところであろう。


同展図録

   「Art in You」をもとに、いくつかの作品を見てみよう。
 《Death of Time》(1990〜92)である。真っ暗な室内に入ると床から60〜70センチほどのところに室内を「コ」の字を形作るようにLEDが赤い光を発して横一列に並んでいた。個々のLEDがそれぞれの速さでカウントしている。よく見ると中央部にLEDのない空白地帯がある。暗黒の世界だ。これが広島への原爆投下による大量死を表現しているそうである。正面に立って中央部をしばし眺めた。「廣島に新型爆弾が投下された。・・・今後70年間は草すら生えないだろう・・・」と、当時のラジオ放送が子供心に記憶に残っている。こんなことが頭を過ぎった。この作品が《Mega Death》のきっかけとなっているようだ。

 《Counting in You》(2008)は本展のための新作だそうである。白い壁面に多くの作品が描かれていた。1から9までの数字が円形状に書かれ、「0」部分に割れた鏡が。そこに宮島のメッセージがあった。Art in、all in、hope in、peace in、action in、life in、world in、death inなどである。この作品のタイトルから鏡の部分にはyouが入るのではないか。そうであればこの作品は宮島のコンセプトである「Art in You」ステップの第一から第五まですべてを表現しているのかもしれない。「Art in You」希求の熱意が感じられた。

 《Counter Skin》(2007)は写真作品である。2007年の夏から秋にかけて北海道天売島、奈良、廣島平和記念公園、沖縄平和祈念公園の4箇所でワークショップキャラバンを実施。その時の参加者を被写体とした写真である。宮島が参加者から好きな数字を聞き、赤、青、黄、黒などから1色を使って、顔、胸、背中、腕、足などどこか1箇所にLEDスタイルで聞いた数字を描き込み、その土地の風景をバックに撮影したもの。15点を2室に分けて展示していた。

 《HOTO》は、高さ5.5メートル、直径2.2メートルの巨大な塔である。鏡の下地に大小4種か、色も6〜7種類のLED3827個が貼付されたカラフルな素晴しい塔だった。展示方法もよかった。この部屋に入るや目前に大きな作品が迫り圧倒されるかのようだった。近づくと鏡面に自分が写る。《HOTO》は宝塔で、「命」を意味するそうである。「法華経」の「見宝塔品第11」に「宝石で作られた巨大な塔が地面から湧き出て、空中に浮かぶという。その姿は光り輝いている」と。鏡面に大小カラフルなLEDの貼付された巨大な塔は、見事でまさに宝塔そのものだった。

 《Death Clock》(2007)は、全国四ヶ所(前記)で実施したキャラバン参加者約50人によって制作された作品。自分で決めた「死亡年月日」をパソコンに入力する。画面には背景とともに自画像と「死亡年月日」までの時間を秒単位に換算した数字が表示される。と同時に刻々とその時間が秒単位でカウントダウンしている。時間の経過とともに自画像が消えていくそうである。10台ほどだったか参加者の映像と時間がモニターに映っていた。 『死』を想定することで『生』を強く意識させる。刻々と進むカウントダウンが、なぜか『死』を痛感させた。

 今回の展示は写真作品を2箇所にわけ広いスペースをとっていたのと、《Death Clock》も10台ほどのモニターをあちこちに設置していて、多くの展示があるように思えたが、種類は多くなく、やや物足りない感じだった。しかし、写真作品は初めてだったのと、素晴らしい《HOTO》に接し宮島の新しい一面を見ることができた。
 宮島の考え方のベースとなっている「アートはあなたの中に棲んでいる」は、ユニークな発想で面白いが、これはヨゼフ・ボイス(1921〜1986)の言う「すべての人間は芸術家である」と近い考え方ではないか。こうみると、宮島の「Art in You」5つのステップの目指すところは、ボイスの社会彫刻の考え方とかなり似ているということができるだろう。
 「柿の木プロジェクト」は、被爆した柿の木の実から種を採取し、新たな苗を育てた長崎の樹木医の行為を宮島が知ったとき、脳裏に「パッ!」とボイスの「7000本の樫の木」プロジェクトが浮かんだのではないか。これが「柿の木プロジェクト」のきっかけとなったのかもしれない。両プロジェクトの考え方もいわゆるアートの世界から飛び出したという点で類似している。
 宮島の考え方は作品《Mega Death》や《HOTO》が物語っている通り、仏教が根底にあるが、ボイスは戦争中搭乗していた戦闘機が撃墜され瀕死の状態に直面、現地人の厚い看護で生還した。『死』と『復活』を文字通り体験しているが、これはキリスト教と重なるし、『洗足の儀式』を行うなどキリスト教が根底にあるようだ。宗教こそ異なれ、宗教が思考の根底にあるという点でも類似性が高い。
 このように両者について類似点は多いが、作品は全く異なる。宮島は科学技術進歩の産物LEDを使うなど現代性があり、それだけに洗練されていると思える。さらに言えばわかりやすい。
 美術評論家松井みどりは次のように言う。「日本の現代美術は1990年代、新たな独創と展開の時代を迎えた。欧米の現代美術の基準をそのまま輸入するのではなく、ポストモダン時代の日本の現実に反応する中で、新しい表現や方法が生まれたのである」、とし、その第一世代として宮島達男、杉本博司、森村泰昌を挙げている。ちなみに第二世代として村上隆、小沢剛、奈良美智、曽根裕らを挙げ、第三世代をマイクロポップとしている。
 ボイスと宮島は年齢が36歳違う。ボイスが活躍したのは主に1960年代から70年代だっただろう。作品といえば《脂肪の椅子》(1963)、《フェルトをまとってコヨーテ相手のアクションを見せるボイス》(1974)などなどである。この時代はコンセプチュアル・アートの最盛期だったのではないか。アートも根元まで追求され、わかりにくい作品が制作されていた時代だった。松井みどりが言うように、その後1990年代になって新たな独創と展開の時代を迎え、その代表格の一人として宮島が登場した。ボイス時代のわかりにくい作品から脱皮して洗練された現代風の独創的作品を制作、新しい世界を展開したと見ることができるのではないか。そのような意味で宮島の作品は1960年代のコンセプチュアル・アートとは異なるコンセプチュアルなアートではないだろうか。

 
   
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社勤務、退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。

ウエブサイト ART.WALKING

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。

 

 

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