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美術散歩

「芸術起業論」村上隆著の視点

TEXT 菅原義之


村上隆著『芸術起業論』(幻冬舎)

 上記図書を新聞で知ってすぐに読もうとした。面白そうだ。かねてから村上隆の考え方に興味があったからである。すぐ本屋に電話照会した。2軒とも在庫なしである。次に、アマゾンを調べた。到着までに1ヶ月かかるとのこと。異例だが、手に入るのなら止むなしと待つことにした。10日ぐらしてアマゾンから該当図書は手に入らない、申込を取り消して欲しいとのこと。新刊図書がなぜすぐ手に入らないのか不思議だった。しばらくして再度本屋に照会した。あるとのこと。すぐ購入した。
見ると        2006年6月24日第1刷発行。
私の購入日8月18日     8月10日第5刷発行。
初版以来1ヵ月半で5刷である。短期間にずいぶん売れたものだ。ちなみに9月1日付新聞では第6刷とのことだった。

 さて、内容である。面白かったし、同感部分が多かった。売れるだけあると思った。村上の作品は必ずしも好きでないが、考え方はかねてから知りたいと思っていた。書いたものは私の知る限りなかった。一気に読んだ。美術家を志す若者には必読書かもしれない。日本にいては世界基準の芸術家にはなれないだろう。この国はその環境にないからである。以下に詳述したい。

 村上は本書で藤田嗣治の日本における処遇などに触れた後、こんなことを言っている。
 《そして、僕は藤田の生涯を知ったとき、
 「あ、まるで自分のことのようだ!」
 と思いました。》と。

 村上の考えを理解するのに藤田を引用すると分かりやすい。少し長いがつぎの私の文章を一部引用したい。
 「藤田の2歳年下に梅原龍三郎(1888〜1986)がいる。梅原は1908年から13年まで5年間パリに留学。藤田は梅原の帰国した1913年にパリへ。5年あとである。
 当時のパリでは日本に紹介され始めたばかりの印象派の時代はすでに終わり、キュビスム、未来派など新しい絵画の時代が始まっていた。
 梅原は、パリ到着の翌日リュクサンブール美術館に行きルノアールの作品に深く感銘をうけ、翌年には南仏カーニュのアトリエにルノアールを尋ね指導を受けることになる。梅原は当時21歳、ルノアールは68歳だった。また後にピカソとも会っているが、キュビスムには少しも関心を払わなかった。
 藤田はどうだったか。梅原とは逆に印象派の絵画に関心はなかったようだ。パリ到着後まもなく、スペインの友人に連れられてピカソを訪問。そこでキュビスム作品やアンリ・ルソーの作品を見せられ驚嘆。日本で受けた美術教育とのあまりの落差に、悔しさのあまり家に帰って絵具箱を床にたたき付けたという。
 藤田がいかに時代の移り変わり、現況把握に敏感だったか。日々が戦場だという世界への挑戦者の意気込みが如実に現れている。
 典型的な留学組であり、先輩画家が歩んだ既定路線を歩む梅原と、前例のない永住派であり、新規路線を開拓する藤田とは、スタート時点で大きな意識の違いがあったと言えよう。」
《藤田嗣治の生き様》PEELERに掲載。

 以上からいろいろなことが分かる。梅原はパリを“師”と仰いだ。頭の上に置いた。すでに全盛期を過ぎた印象派を学ぼうとした。藤田はパリを“足がかり”とした。足の下においた。パリだからこそ見られる世界美術界の流れを見ようとした。当時の現代美術である。同じ日本人でも、パリの位置づけに大きな違いがあった。頭の上に置くのと、足の下に置き、踏み台にするのとでは意識に大きな違いがあった。

 端的に言って、以上が藤田のスタンスだが、これを検証すると村上の考え方にピッタリ当てはまるから面白い。具体的に見てみよう。《》内が村上の言である。

 《西洋の美術の世界で最初に認められた日本人美術家は葛飾北斎です。》
 2番目は誰か。藤田嗣治だと思っていたが、読了後確認できたように思う。村上も同感ではないか。

 これは本書冒頭部分、《なぜ、これまで、日本人アーティストは、片手で数えるほどしか世界で通用しなかったのでしょうか。
 単純です。
 「欧米の芸術の世界のルールをふまえていなかったから」なのです。》

 美術の世界は欧米中心に回っているのは客観的事実なので、この書き方は理解せざるを得ない。「片手で数えるほどしか」も事実だろう。北斎、藤田嗣治、村上を入れるとあと1人か2人か。河原温か、荒川修作か、奈良美智か、森村泰昌かそれともほかにいるか、私には分からない。これらの人たちは多くの日本人は知らないだろう。後述するように日本と世界とでは評価基準がまったく違うからである。

 《欧米で芸術作品を制作する上での不文律は、「作品を通して世界芸術史での文脈を作ること」です。》
 「・・・世界芸術史での文脈を作ること」、欧米での評価基準は芸術史上での創造の世界をいかに重視しているかである。20世紀初頭、パリにいる藤田は当時の美術の現況を見て、その流れの中にいかに自分の文脈を作るか、その中でいかに人の真似のできないものを創り出すかに意を尽くした。欧米の評価基準を読み取っていたということができるだろう。当時の現代美術である。

 《西洋美術史の文脈に至るまでの入口をどう作るか。それが重要なのです。》
 村上は何回か同じことを言っている。痛感したからだろう。藤田を村上流に言えば入口を模索し、ついに浮世絵に着想を得た。藤田が成功する導火線となった。入口がいかに重要か、藤田と村上の思考回路はまったく同様だといえるだろう。村上が藤田を評して「まるで自分のことのようだ!」と。

 《日本の異端は欧米の評価を受ける。
 日本の本道は欧米の評価を受けない。
 現代に通じるこの流れを日本人は意識すべきです。》

 まったくその通りである。北斎にしても、藤田にしても日本の本道ではなかった。逆に日本の本道であっても、世界で認められていない人はいくらでもいる。なぜか。前述の通り、世界の評価基準と日本のそれとはまったく異なるからである。“どこが違うか”、“どうして違うか”である。
 “どこが違うか”、それは藤田のしたように、村上の言うように、欧米美術史の文脈上でいかに自分を表現していくかが評価基準なのに、日本には権威ある世界基準の土俵がないことだ。つまり戦場が“美術史の最先端部分”、“現代美術部門”なのにその土俵で勝負しようとしていないのだ。これでは戦いにならない。
 パリを“踏み台にした藤田”と“師と仰いだ梅原”との違いである。あの時代はやむなしとしても現在でもほとんど同じだ。(以下は私見)
 偉い先生に叱られるかもしれないが、具体例を挙げれば、今でも日本の指導的役割を担うべき日展、二科展は現代美術部門を考慮せず、しっかりと古い体制で美術展を実施している。ここで評価されても世界の評価とは無関係である。世界基準から見るとこれらの団体は、洋画部門を持ちながら世界という土俵での戦いを放棄しているかのようである。
 現在ある日本古来の伝統を重んずる部門を否定しているのではない。該当する部門は世界の評価基準をしっかりつかむべきだと言っているのである。
 日展、二科展だけの問題ではない。もっと深刻である。洋画部門を持ちながら美術の最先端部門のない伝統ある日本芸術院、それと意見の相互交換をすべき文部科学省、文化庁などからは、世界の評価基準にかかわろうとする積極的な姿勢が見えてこない。 
 指導的役割を果たすべき国や有力美術団体は美術の現況、現在地点を的確に把握し、積極的に国民に知らせる責任と義務があるはずである。
 これでは美術を目指す有能な若手作家は外国にいくしか方法がないだろう。気の毒に思えてならない。一般人の美術鑑賞も明治以来変わらないことにもなりかねない。まだこの日本には梅原流が厳然と残っている。全面改善が急務だろう。

 《明治以降、日本の美術家たちは西洋美術史の輪郭に沿い、ワクからはみだしていないかを気にしながら、意味も分からないまま欧米の人と同じ色を塗りたくってきました。
 明治以降の日本の目的は「欧米に追いつくこと」でした。明治以前の文化遺産をすべて捨てて欧米の寄せ集めで出直してまで得たものは常に抱え持つ「欠乏観」だけでした。
 追いつくための速度は次第に爆発的となりました。欠乏を埋めるためにいつも新しい輪郭を海外の文化に求める日本人・・・。
 明治維新から続く欠乏を応急処置的に埋めてきたのですが、文化とは色を塗る行為ではなくて輪郭を作り出す行為だということを忘れたままの美術史が続いてしまったのでした。》

 “どうして評価基準が違うか”の問題である。上記の村上の文章の通りである。
 「色を塗る行為」は、いわば“なぞる行為”である。これまで誰かがやってきた行為の再現である。「輪郭を創り出す行為」は、美術の現状(現代美術)を把握し、新しい文脈を“創り出す行為”である。これこそが世界の評価基準だ。指導的立場にある国、団体はなぜ世界基準を設けようとしないかである。日本の主流は21世紀になった今でも「色を塗る行為」の良し悪しを競っているかのようである。偉い先生の発言が強いのかもしれない。琴線に触れる部分である。難しい問題だが、世界に遅れないためにこのハードルも乗り切らねばならないだろう。最後の選択は国の問題だろう。

 まだまだ書くべきことはいろいろあるが長くなる。大切だと思われる部分は記したつもりなので終わりしよう。


 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、中大法卒、生命保険会社勤務、退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。

 


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