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美術散歩

ジャクソン・ポロック

TEXT 菅原義之


MoMAで購入したポロックのポスター

 先日私の従兄弟が久しぶりに遊びに来た。いろいろ話が弾んだ。しばらくすると彼が部屋にあった絵を見てこの作品は何かという。たまたまジャクソン・ポロックのポスターが飾ってあった。
 この作品は1999年1月、ニューヨークに友人と出かけたときに買ったものだった。丁度ニューヨークMoMA(近代美術館)で“ポロック展”開催中であり、それを見たあと記念に買ったのである。やや大きめだったから筒状にし、つぶれないように、中に靴下だの手ぬぐいだのを入れて持ち帰った。ポロックは私の好きな作家だったし、額装するときに何となく“力が入って”しまい、チョットだけ高価な「額」を購入したが、今になってみると「額」の方が立派だという印象をぬぐいきれない。

 “力が入る”といえば思い出すのが、下手なゴルフである。今はあきらめ、やめてしまったが、練習もしないで、会社時代お付き合いでゴルフに行ったものだった。いつでも本番。どうしても“力が入る”。“力が入って”はろくなショットもできなかった。終わるころになってやっと“力が抜けて”いいショットの出ることも(?)あった。
 “力が入れば”ろくなことないのは分かっているのに「額」購入時は、すっかり忘れて“力が入って”しまったのだった。

 彼は絵画を見るのが好きで、時々奥さんと美術館に行っているそうである。しばらく見ていたが「分からない」という。何が描いてあるのか分からないという意味のようだ。確かにポロックの作品は、キャンバスを床において、ドリッピングを試みて作成されるので、抽象作品であるし、何が描いてあるか分からないといえばその通りだろう。
 そこで、描いてある内容は誰もわからない、あまり描いてある内容にこだわらずに、どのように感ずるか、好きか嫌いかで見ればいいじゃないか。ネクタイを買うのに内容が分かるかどうかで買う人はいない、色や柄を見て自分が好きだから買う、気に入ったから買う。それと同じように考えればいいじゃないかと話すと

 「あ、ソーなんだ」
と納得したようだった。
 しばらくすると気になるとみえて、彼はまた
 「これ、地図が描いてあるのかなー」
と言うではないか。
 「エッ!」

 とこちらも驚いた。話したばっかりだったのにと。彼としては何か具体的なものが描いてあってほしかったのだろうし、具体的なものに繋げたかったのだろう。
 絵画について長い間もっていた固定観念を変えてもらうには、どうしたらよいか、私の美術館でのガイド活動にも参考になる一コマだった。

 その後、彼は私に、現代の美術は分からないという。私自身もそんなに見ているほうではないが、なれると面白い、何といっても見ることではないかと引き続き話した。
 最近テレビ・コマーシャルを見ても面白いものはほとんどない。時々よくもあんなものを恥ずかしくなくやっていると思われるものもある。予算の関係からか、採用する側のセンスの問題からか分からないが。それもかなり大手の会社である。
 逆に、時々驚くほど“発想のいい”と感心するものもある。良さを言葉で表すことは難しいが、“洗練されている”、“的を射ている”、“ひねりがきいている”とでも言うのか。もちろん余計な“力も入っていない”。普通の発想ではできない。世の中にはこういうことに気づく人がいるんだと感心する。
 現代美術は、もちろんテレビ・コマーシャルと同じでないが、ひとつの見方として“発想のいい”という視点で似ているといえるのではないか。そんな作品に出会うと“驚き”と“感心さ”に浸ることができる。両者とも同様な思考回路がもたらすのかも知れない。次の作品などその典型であろう。


「スイミングプール」図解
  ○レアンドロ・エルリッヒ(1973〜)の作品「スイミング・プール」(2004)
 今年の3月に金沢21世紀美術館のグランドオープニング展で見た作品である。金沢に行く前、NHKのテレビ番組「新日曜美術館」だったか、作品の紹介場面を見た。始めプールの底にある入口から東京芸大で教鞭をとる日比野克彦氏が現れた。一瞬水中で着衣の同氏の登場、瞬間、“呼吸は大丈夫か”と思った。すぐに問題は解けたが、プールの底や壁面は水色であり、そこに水中を通過した太陽光線の揺らぎが見え、瞬間水中だと錯覚したからであった。この作品は、スイミング・プール部分は深さ10cm、そのプールの底は透明な強化ガラスでできていて、その下に深さ2.8mの空間がある。この空間に最初日比野氏が登場したのだった。上から見るとプール部分を通して、下にいる着衣の人、人、人が見える不思議な作品であった。

 

愛と孤独、そして笑い
東京都現代美術館
2005年1月15日(土)〜3月21日(月)
  ○澤田知子(1977〜)の作品「School days」(2004)
今年の1月から3月にかけて都現美で開催された「愛と孤独、そして笑い」展のパンフレット掲載作品である。先生を向かって前列右に、約40名の制服を着た生徒の並んだ写真作品である。よくあるクラス全員を撮る記念写真のごときものである。パンフレットを見たときは注意しなかったせいか何も気づかず、何でいまさらと思ったがそのまま会場へ。作品の前に立ち、よく見ると全員が澤田知子本人ではないか。気づいた瞬間“笑った”。変装の巧みさ、変装への努力がよく分かった。分かりやすく面白い作品であった。

 これらは見てしまうと何ということはないかもしれない。しかし、“発想のよさ”は抜群であろう。こんな発想力を生かしてさらに拍車をかけてほしい。今後の作品もひき続き見てみたいものである。
 こんな驚き、不思議さ、面白さをもたらすものも現代美術の魅力の一つではないか。


著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生まれ、中央大学法学部卒業。生命保険会社勤務、退職直前の2000年4月から埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。

・アートに入った理由
 1976年自宅新築後、友人からお前の家にはリトグラフが似合うといわれて購入。これが契機で美術作品を多く見るようになる。その後現代美術にも関心を持つようになった。

・好きな作家5人ほど
 作品が好きというより、私にとって興味のある作家。クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。



 

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