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アートプロジェクトの主体は美術作家から活動体へ・筑前深江アーツキャンプ

TEXT 中村千恵

 
福岡県の繁華街・天神から電車で40分強の筑前深江駅から徒歩10分程。海の家「見晴荘(みはらしそう)」を舞台に、2006年5月5日から5月7日にかけて「筑前深江アーツキャンプ」が行われた。

これは地元のPTAが主催したもので、主旨は以下。
「『深江って何でも美味しくて海も山も川もあって、素晴らしいところですね!』(略)住んでいる私たちも、本当にそう思っているのですが『そんな環境をもっと楽しめる方法があるんじゃない?』という話しが湧き出てきました。
『どんなことしたら面白い?』『外からの意見も聞いてみよう。』と興味のある人を集めて、キャンプ形式の体験型勉強会を企画してみました。
全国から集まった参加者が、講師や住民と相談しながら、深江をもっと『深く・面白く』する企画を考えます。」(注1)

深江をもっと「深く・面白く」する企画を様々なアプローチで考えるために集まった講師は、森司氏(キュレイター・水戸芸術館)、曽我部昌史氏(建築家・みかんぐみ)、中村政人氏(美術家・コマンドN)、永田宏和氏(企画プロデューサー・iop都市文化創造研究所)といった超豪華な面々。ゲストアーティストも多数。これは裏で糸をひいている専門家がいるに違いない!!するとこのチラシの裏面右端にさりげなく、「筑前深江在住 自営業 ふじひろし」とある。

藤氏は1998年の「公庭は素晴らしい」について、それはプラントのデモンストレーションでありシステムである、そしてシステムは自分の作品ではない、と述べている。これは自分をプラットフォームとして別の誰かの表現を誘発するための場と仕組みであって、自分の作品ではないのだと。
さらに今回のチラシに記載されている住民としての肩書から、自らの表現としてではなく地元住民として参加するというスタンスであることがうかがえる。しかし以下の発言から、たまたま参加したというよりはやはり自身の実践として地元の方と共同作業をした感があるのは否めないだろう。
「自分の住んでいる周りの環境ともいい関係でありたい。」(注2)
「自分の周辺の人達との関係性を深めようとする欲求。その向こう側にある『自分に何ができるか?』という自分自身の可能性の探究」(注3)
自らが主体とならないように活動体に寄与する藤氏のスタンスには反するだろうし(注4)、既に著名なアーティストのことをPEELERで取り上げても仕方がないかもしれない。けれど今回の試みにおける地元の方との混ざりっぷりは、PEELERでも特に力を入れて取り上げられている各地方での活動の参考になる事例だと思うので、あえて作家・藤浩志による最新型アートプロジェクトとして取り上げる。(最大のポイントが、アートプロジェクトとしてではなく地域活動として行っている点にこそあるという可能性に、とりあえず目をつぶりつつ…)

わたしはこの筑前深江アーツキャンプにボランティアスタッフとして参加した。スタッフと言っても、事前には荷物を運び込む作業くらいしか手伝っていない。ので、それまでの話し合いの経緯等の前知識はほぼない。
また、福岡に引っ越して1ヶ月しか経っていなかったので深江の土地についての知識もなく、はるばる関東・関西・中国地方等からやってきてくださっていた参加者の方々と、見えているものはあまり変わらなかったと思う。と前置きをして、まずは簡単な体験記。(注5)


見晴荘はこの2倍の広さ
 
5/3
本番前に見晴荘に試しに泊まってみる日。中洲川端での用事を済ませて筑前深江駅に着いたのは23:30。駅から徒歩10分ということなので歩けるなーと、ひとりで見晴荘に向かった(女性一人でそんな時間に、非常識ですね、、、反省)。到着後、前々夜祭と称して飲んでいた地元の方たちにあいさつをしてから、地元の方のお宅におふろを借りに行った。それから、ずっと手伝っているスタッフのことちゃんに手伝ってもらって、見晴荘の中に自分が寝るためのテントを設営した。(わたしはあまり海の家というものを見たことがないのだけど、見晴荘は海の家にしてはかなり大きいらしい。)

 
5/4
お借りした寝袋の下にもふかふかしたものを借りて敷いたけど、ちょっと肌寒かった。寒さ対策が必要だということがわかり、毛布等持ってくるようことちゃんが参加者にお知らせした。
神戸から、パフォーマーのきすさんがスタッフとしてやってきた。同じく神戸から、大学院で音楽について研究しているやまざきさんもやってきた。みんながそれぞれの仕事をする。わたしは物を運ぶのを手伝ったあと、のぼり旗を作った。布を切って、縫って、ことちゃんがプリントアウトしたアイロンプリントを切り抜いてアイロンがけ。ささなさんという方がやってきて、スタッフではなかったのだけど手伝ってくださった。中村政人さんがお子さんといっしょに到着。お子さんはお父さんといっしょなのがかなり嬉しい様子。
きょんちゃん・あっこちゃんなどスタッフも増え、ほのぼのした感じで、夜はみんなでバーベキュー。
片付け等を手伝っている間に夜が更け、近くの温泉「きららの湯」に間に合わず6人くらいで「伊都の湯」に行く。田んぼの中にひょっこりある銭湯価格の伊都の湯で露天風呂を楽しんで、見晴荘に戻り、地熱であたたかいらしい外のテントに間借りして就寝。


スタードーム
 
5/5
朝食中にCAT到着。CATとは太宰府市役所の職員の方達による活動で、昨年太宰府市でスタードーム・フェスティバルを開催した。午前中にのぼり旗の仕事を完了させるべくわたしが見晴らし荘の中でアイロンをかけている間に、スタードームも完成しており、キチ学会による秘密キチ作りや竹灯籠作り、スイーツ作り等地元の子供たちを対象にしたワークショップが行われていた。このワークショップをされたアーティストの方々も引き続きゲストアーティストとしてアーツキャンプに参加した。
午後には続々と参加者到着。開所式のあと見晴らし荘の中に段ボール等の材料を使って各々ねどこを作る。それぞれ個性的で、どれも魅力的。それらが集まった海の家の中はおもしろい風景になっていた!


食べくらべカレー
 
夕食は、地元スタッフそれぞれのお宅から持ち寄られた10種類以上のカレーがカセットコンロにのってあたためられているのを、各自でよそう。お鍋もいろいろ。さくらいさんとこの激辛もよかったし、みーちゃんのマメカレーも美味しかった。その後、見晴荘の中で川祭り等深江の紹介と講師陣によるレクチャー。
近くのグランド敷地内にある合宿所のお風呂に行くが、水しか出ない。ガスの元栓等を確認してもらったけど諦めて、はしもとの、ぐっさんの手作りお風呂をお借りする。おはらん・ささなさんと3人でいっしょにお風呂に入って、湯を節約しながら体を洗って、順番に浸かった。良いお湯だった、ぐっさんに感謝!
お風呂から戻ると参加者・スタッフ・ゲストアーティストがみんなで飲んだり食べたりお話をしたりしていたので混ぜてもらった。わたしは全く肩が凝らないタイプだけど、鍼灸師である地元スタッフのさくらいさんにマッサージして頂いてしまった!

夜はまたもや外のテントに間借して、就寝。ところがこの晩は強風で大変なことに!!テントが変な形になっている〜と思いつつもしぶとく眠っていたわたしたちだったけど、AM2:30くらい?で見晴荘の中に避難し、最初の夜に設営したテントで眠る。

 
みなさんのねどこ
 


このページの写真は全て(C)森司
 
 
5/6
一日雨。地引き網は中止。
昼間は深江のことを知るためのリサーチ活動。わたしは食事の準備を手伝ったあと近くの八幡宮の見学だけ途中参加。宮司さんが解説してくださっていた。
お隣の海の家はしもとで地元の子供たちがワークショップに参加しているあいだ、リサーチ活動を終えて参加者が戻ってきた見晴荘内では夏の陣での実施に向けた企画会議が始まる。まずは個人で全員が提案を発表したあと、講師陣によって出た案がおおまかにグループ分けされ、各々がグループを選んで企画をまとめる。わたしが参加したグループはいくつかの案の中から、ふとん案を選び、翌日の発表に向けて話し合った(注6)。
 
  各グループ途中で一度講師陣に軽く発表し、森さん・曽我部さん・中村さん・永田さん・柳幸典さんらからアドバイスを受け、さらに話し合いを続ける。
講師の方が散り散りにグループをまわる。わたしたちのグループには永田さんや中村さんが来てくださって、アドバイスしつついっしょに考えてくださった。AM2時をまわってもどのグループも熱心に話し合っていた。
わたしは本当はこの晩は帰るつもりだったが用事がなくなったこともあり、毛布をお借りして、昼間いくつか作ったうち余っていた屋根だけのテントで、同じくこの日は帰るはずだった同じグループのまきさんと眠る。

5/7
朝から中央公民館に出かけ、各グループによる町の人への熱いプレゼンテーション。
どれもおもしろいしよくまとまっている。
一応の投票をしたあと、円座になって話し合い。
結果は・・・どれも選ばない!ということになった!!

それから、見晴荘に戻ってテントを畳んだりなどの片付けをスタッフ/参加者みんな
でして、わたしは帰った。

 
個人的な感想。今回のプロジェクトへの参加者は、参加費として7109円(ナットク価格)払っている。そのためスタッフで参加しているわたしはやはりお客さんに皿洗いや準備の手伝いはさせられない、という意識があった。でも最後にみんなで片付けしているときが良い感じだったのだった。誰かがしてくれるのではなく、作業に加わると、人に関わることになる。わたしはボランティアスタッフとして作業を手伝っていたので住民の方と話す機会は参加者の方より多かった。それは良かったことだけど、最後の片付けみたいにみんなで作業できてたらもっと良かったなと思った。何より、地元の方と話したり、特別観光地なわけではない町の中に入っていったことがおもしろかったから。
後日の打ち上げにいったら同様の声があがっており、夏の陣は、”お客さん”をつくらないようにしよう、という話しになった。

さて、体験記のあとまとめるつもりでしたがまとまらない!!深江のプロジェクト自体、まだまだ続いてゆくものだからまとめるにはまだ早い。活動体としての主体を中心に据え、美術家の意図が主体にならないことを標榜しているであろうことを思いつつも、藤氏の言葉をひいて、まとめに代えたい。

「生活の延長にある素材や人材と対峙し、じっくり何かを形にしてゆく地域に根ざした活動のプロセスは大切である。しかし一方で閉鎖型の地域社会では異質な活動は排除される傾向もあるし、自分自身の活動を俯瞰する視点を見失い、狭い価値観の中でネガティブなベクトルに進んでしまう危険性もはらんでいる。それぞれの地域での個人的な活動の風通しをよくし、俯瞰する視点をつくりだすネットワークシステムは、孤立しがちな地域内での信頼関係をつくりだし、活動を継続させ、新しいイメージへと展開する力を生み出す。そして、それぞれのフィールドを持った様々な活動が連鎖して地域社会への興味が深まってゆくのだと思う。」(注7)

(注1)地元の方向けの事前説明会用のリーフレットより
(注2)『違和感を飛び超える術!−藤浩志展』'05 ,福岡市美術館 ,p41
(注3)『ミーティングキャラバン〜日本縦断、アートミーティングの旅〜』N-mark ,'05, BankART1929,p75
(注4)川俣正氏との対談より、美術家の主体性を意識的に排除することがうかがえる。
川俣氏「(略)ここ何年か『ワーク・イン・プログレス』ということで、なかなか終わらない、繋がったプロジェクトをやっているわけなんですけれど、結局、僕は何をしたかったかっていうと、やっぱり作家が、そこで関わるたちとの全体の中で考えていきながら、何かを決めていき、そこでもって動いていくようなものをやっていきたいと思ったんですね。だから、もちろん僕がひとつのきっかけをつくるのかもしれないけれど、そこから発生するものとして動いていくものがあればいいなと思ったんですね。ここら辺は、けっこう藤くんの中でもすごくあると思うんだけれど。さっき話した時、彼の場合は(略)仕掛けをつくって、そこからもう、自分は抜けていくと。
要するに自分が居なくても、ひとつのシステムが動いていくみたいな、そういうことをけっこう真剣に考えていると思うんだけど。(略)主体性の問題っていうのはけっこう大きいと思いますよ。」
藤氏「大きいですよね。(略)やっぱりその地元の人が主体性を持って動いていかないと、結局、面白い状況にはならないんですよね」『出来事としての美術-川俣正と藤浩志-』名古屋芸術大学美術学部美術文化学科、2001年、p24-26
(注5)みかんぐみ曽我部氏による記録もおもしろいのでご参照ください。
 http://artgene.blog.ocn.ne.jp/sogabe/2006/05/post_b7c0.html
(注6)ふとん案;深江は東西に高いものがなく、県内でも日照時間が長いこと、また、干す支持体として竹を使用することで、竹害の解消にも貢献しよう、という地元の方の案。
(注7)『ミーティングキャラバン〜日本縦断、アートミーティングの旅〜』N-mark ,'05, BankART1929,p75


筑前深江アーツキャンプ

福岡県糸島郡二丈町深江海岸周辺
2006年5月5日〜7日(日)
2泊3日のキャンプ形式ワークショップ

著者プロフィールや、近況など。

中村千恵(なかむらちえ)

1979年愛知県豊田市生まれ。
北九州市→再び豊田市→渋谷区→'06.3末より福岡市在住。
比較文化学科で学んだあと、社会人を経て
'06.3美学校アートプロジェクトラボ修了。




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