自分から立ちあがること。
                          自分の思いをぶちまけること。
                          アートライターとして、思ったことを書き連ねて行きたい。
                          明日のアートのために、日本から世界に届くように。
                          2011年1月 藤田千彩
                      
                      第四回2011年4月:自分の足で見てまわること(後編)
                        去る4月16日、私は埼玉県にある
川口市立アートギャラリー・アトリア(へ行った。
                        彫刻家の建畠覚造の展示を見るためである。
                        
                        個人的にこの1年、彫刻について勉強をしてきた結果、美術史は絵画史であることを知った。
                        絵画で「〜イズム」と言われている時代でも、彫刻作品は連動しているとは限らないのだ。
                        そう考えるとき、この建畠覚造の仕事は、ネオダダでも、もの派でもない。
                        パブリックアートと呼ばれる駅前のモニュメント制作のような仕事を評価するならば、美術という区切りの枠を超えてしまうかもしれない。
                        
                        実際の作品をひととおり見て、ポスターやチラシにつかわれている作品が展示されていない、と思った。
                        もう一度、入口をくぐる。
                        一緒に来ていた彫刻家の三宅一樹さんが「これだよ」と教えてくれた。
                        入口すぐにあったマケットや写真と、撮影の角度が違ったため、作品も違うものと私は勘違いしたのだ。
                        
                        改めて作品を見る。
                        一方向では見える(分かる)こと、あるいはその逆。
                        立ったり座ったり、高さを違えても、見えかたが違う。
                        
                        やはり実物を見ないと、足を運んでみないと。
                        そう、改めて感じた。