「日常」その様々な語られ方
TEXT 友利香
全国でも高いレベルにあると言われる山口県美術展覧会。第65回目になる本展には全国から568点もの作品応募があり、そのうち審査を通過した入選作品は149点。さらに(入選作品の中から)大賞1点・優秀賞5点・佳作36点が決定された。会場には149点全ての入選作品が展示されているので、観客もかなりの体力を要する展覧会である。

大賞《風景》山根秀信(山口市) |
山根秀信について、(私の記憶では)これまでに変容する風景やスーパーレジ袋の姿態など、身の回りのものや風景をモチーフにして社会の問題点を提示してきた作家だと解している。今回は、壁面に2点の平面作品、床に1点の観客参加型の立体作品、計3点で身近に起きている風景を提示した。
壁面に並ぶ米袋は、整然とした水田風景を醸し出す。よく見ると袋には一般家屋の図面が引かれている。稲穂の上に容赦なく引かれた線からは、新築家屋の施主や関わる事業所の喜々とした未来を伺い知ることはできない。ここにある米袋は農地転用の青写真、否、まさに農地転用申請書であり、TPP参加による農業問題・食料問題・商業主義・環境問題・都市問題など様々な問題点と不安が潜んでいる。
山根は土の代わりに米を敷き、石の代わりに石膏で作られた家を配した。つまり、壁面の米袋の作品を立体化したのだ。これは枯山水の庭園様式を用いていることから、雪舟庭に代表される山口市の風景であると、身近に感じられる。
ここに盛られた米粒はまるで神への貢物めいた彩どりを放つ。なんと豊かな実りだろうか。それは視覚的・感触的に、日本国家の源、日本人の源、自然と共に生きている人間の在り方などを訴えかける。反面、石膏は耐火性が優れているため、石膏ボードという建材として現在多用されている素材である。つまり、ここで使われている石膏の家は、外観は特定しない(問題ではない)が新築家屋であることが、色や素材の特性からも伺い知ることができる。この自然と人為の対比が観客を苦しめる。
さらに作家は、この美しい米の上で家屋を自由に動かし住宅街を作るよう観客に要求する。観客にしてみれば「都市設計者」と言うより、「自然の破壊者になれ」とでも突き付けられた気分である。土地(=米)を整備するために、櫛のような波型定規と普通の2種類の定規が用意されているのだが(いわゆる、庭作業に使う熊手のような爪付きレーキとグランド整備に使用するトンボのような平型レーキの代用)、面白いことに、観客は家を動かした後、空いている部分を必ず波型定規で波紋をつけ去っていくのだ。グランド整備のように、ガガガッと平坦に土ならしをする者はいない。米と日本人、日本人と庭園様式の精神など、ここに日本人の奥底で眠る血が観客自身の中に受け継がれていることに気付く。
もう片方の壁面には家屋のスケッチが貼られている。所々にある空白は非常に意味の重い白紙である。床に盛られた米が想起させる弥生という稲作文化から、空白の未来までがここにある。社会が抱える諸問題を私たち日本人の中に脈打つ古来からの知覚領域で一考させる作品である。

佳作《伸びる》保手濱拓(山口市) |


佳作《私を墓に連れてって(英雄)》祐源紘史(広島県) |
会場のデッドスペースを活用した作品は見所の一つである。玄関口スロープは、國本ゆうじがフィルムをモチーフにした作品で観客を誘導していたし、1階から2階への高い壁面は、保手濱拓が活用していた。人がほとんど気に留めないスロープ脇の床には祐源紘史の作品があった。
祐源の作品は、2009年広島アートプロジェクト「吉宝丸」で、《スケルトン》という作品を見たことがある。この時は、フライドチキンの骨で作られた人骨がケンタッキーの箱の上に立っている作品だった。これはブロイラー化され、操り人形の如く儚く踊る人間について辛口の意味があるのか?と考えてたが、その辺りは定かでない。今回は「英雄」とタイトルがつけられているので、遺跡へのロマンだろうか。広い会場の片隅に砂浜の広がりや波音、潮風の匂いを静かに持ち込んでいる。

佳作《Mへ》松本晃弘(山口市) |

入選《Fへ》松本晃弘(山口市) |
松本は身の回りの風景を撮影している作家である。それは、どこかしら進み行く大気を含み、静止した場面の前後の経緯を知りたくなったり、あるいは「あなたはどうしてどこにいたの?この後あなたはどうしたの?」と、作家がこの場面の証人(あかしひと)となった経緯を問わずにはいられない衝動があった。今回それらが集合した作品を見ると、写真一枚一枚の中に見える大気の太さや方向・スピードは、経過する時間の道筋であるかようだ。このひとつひとつの時間の道筋は、日々更新され履歴となり、作家の人生となる。
《Mへ》とは、松本自身のMかと思ったが、母(Mother)へ捧げた作品だそうだ。この作品とは離れた場所にモノクロ作品《Fへ》が展示してあった。Fは父(Father)。2つの作品は、今ある日常を遡るとFとMにたどり着く作家の幸福感をそっと知らせている。

左 佳作《足もと》椙山美奈子(広島県)右 佳作《泉(3-1)》廣澤仁(東京都) |
絵画では震災や生死をテーマにした作品等で、優れた作品が多数あったが、軽やかで爽快な椙山美奈子の《足もと》や、堅牢で鉛のような廣澤仁の《泉(3-1)》が印象に残った。
本展の見どころは、作品だけではない。「単なる作品発表の場ではなく表現者の発掘の場である」という厳しい眼(まなざし)の審査員と、それに挑む出品者の心意気がぶつかり合う公開審査会もぜひ傍聴してほしい。