topreviews[「アートサイト府中2010 いきるちから」/東京]
「アートサイト府中2010 いきるちから」


ハコモノへの抵抗
TEXT 藤田千彩

運動が苦手な私は、市民球場とか市民プールに行くことは、ない。
美術が好きな私は、市立や県立の美術館へよく行く、自分が住んでいる地域以外も。
自治体が持っている施設については、事業仕分けのような論議がいろいろと交わされることの多い、この時代。
東京西部にある府中市美術館は、きちんとした指針を持って展覧会企画やコレクションをしている公立美術館である。
私は府中市民ではないが、この美術館が好きだし、見たい作品があるから足を運ぶことが多い。
この冬、府中市美術館が企画した展覧会もとても興味があった。
「いきるちから」というタイトルの展覧会だ。


菱山裕子《いない・いない・ばぁ》(1996年)


府中市美術館に向かう途中にあった池に氷が張っていた。
美術館を取り囲む公園の木々も寒そうで、空が澄んで青かった。
さあ、美術館へ・・・と自動ドアが開いたその先で、菱山裕子の作品が出迎えてくれた。
展示会場ではないところに、作品がある。
あまり見たことがない場面にびっくりした。
作品は展示会場にあるもの、という既成概念が崩れて行く。
アルメッシュという、網戸の網のような素材でつくられた人体像。
個人的に大学時代から銀座のギャラリーで目にしていた、なじみのあるシリーズでもある。

木下晋展示風景


木下晋《光の合掌》(2008年)



エスカレーターを昇り、2階の展示会場に入る。
そこにも菱山の作品が“出迎えて”くれる、「ようこそ」と言わんばかりに。

入って右に曲がると、木下晋の作品群が並んでいた。
最近の美術は、と語る気はさらさらないが、目を通して驚いたり、目を奪われる作品に出会うことが少ない。
逆に、木下の作品にはびっくりさせられることばかりだった。
大きな紙に鉛筆でリアルな人間が描かれている。
アジアで言う「手技系」ではなく、あるいは細密系でも模写でもない。
オリジナル、個性がどこかににじみ出ているし、知っているような知らない人の顔や姿。

木下晋《帰趨》(2007年)

しかも100歳の老婆、ハンセン氏病のおじいさん、といったグラビアアイドルの真逆を行くような人選である。
見ている人たちが、なぜ「うぉっ、すげえ」と言っているのだろうか。
これが写真であったら、誰も見向きもしないだろうに。
私は自分の老後の姿を重ねて見ていた。
しわや白髪といった加齢に伴う現象を、私は否定はしないけれど、でもいやだ。
そして腰を曲げ、倒れそうに立ち歩いても、スーパーの袋をさげてつまり買い物に行って食事をしなくてはならない現実。
老人はいやだ、と思いつつ、こうした老人へいずれなってしまう現実
木下の鉛筆の動きを追うとき、何を思って線を引いて、絵として表現しているのだろう、と思う。
悲しみ? 同感? 批判? 不安? むしろ予感とか喜びとか?


菱山裕子《コロイド粒子の夢》(1994年)



移動し、菱山裕子の作品が並ぶ部屋へ。
置かれている人体像は、先ほども書いたがアルメッシュという素材でつくられている。
自分の姿とは似ても似つかないし、こわくもかわいくもきれいでもない。
でもなぜか楽しそう、ユーモラスに感じてしまう。
しゃべりかけられてる気もするし、他の鑑賞者以上に人間がいるような親近感を感じる。
安心、というと変な言い方かもしれないけど、つらいこともいやなことも感じさせない作品の感じがいい。

さらに歩を進めて、大巻伸嗣の部屋へ。
カーテンを開けると、万華鏡の中にいるようなキラキラした世界が広がっていた。
ヒザより低い丸い台の上を、手のひらサイズの動物のおもちゃなどが動いている。
台の表面は鏡になっていて、投影された光は反射し、おもちゃたちは壁に影として写っている。
もはや美術用語で言い表したり、小難しいことを口にする“無意味さ”を感じた。
作品を見て、単純に「キレイ」と思うだけの、美術ビギナーだったあのころの記憶を、私は思い出した。


大巻伸嗣《Wonderful World》インスタレーション全景(2010年)

大巻伸嗣《The Landscape》部分(2010年)

大巻伸嗣《The Skin》部分(2010年)


大巻伸嗣《ECHO-white void-立ち上がる時間/反転する空間》(2008-2010年)


大巻伸嗣《Memorial Rebirth》のプレイベント



また別の部屋では、大巻が府中市美術館で公開制作をしたときの「作品」が置いてあった。
透明な真四角の部屋の中で、絵具をぶちまけ、色を重ねていく過程をも作品化したものだった。
そのプロセスの分かるビデオを流しながら、箱も置いている。
大巻はこの展覧会会期中に、美術館前の広場でシャボン玉を飛ばす《rebirth project》も行なっていたようだった。

あたかも美術館全体が、遊園地のような、激しい動きはないが心は揺さぶられる場であったり、動物園のような、サルもいればカバもいればトリもいてそれぞれの個性を見て納得したりする場であったりすること。
楽しい気持ちになれることがない日々で、美術あるいは美術館で「楽しい」と思える喜びを感じることができたのは、本当に心が休まることだと思った。


菱山裕子《お花畑に風が吹く》

美術館というハコモノは、その中でさえもシバリがあると聞く。
それを超えて、つまり、展示室だけにとどまらないで作品が置かれていたこと。
自分と等身大の目線や配置だけでなく、上下左右のあちこちに目を動かし、ときにはひざを折ってしゃがんで見たりする行為を求められること。
既成(規制)にとらわれない展示方法で楽しむことができた。
そして最後に、2階展示室から1階へ下りる階段上でも菱山裕子の作品が浮いていた。
「またね!」
もちろん実際にしゃべっているわけではないが、私には聞こえた。




「アートサイト府中2010 いきるちから」
2010年12月2日〜2011年3月6日

府中市美術館(東京都府中市)
 
著者のプロフィールや、近況など。

藤田千彩(ふじたちさい)

1974年岡山県生まれ、東京在住。アート+文章書き。今年のおひつじ座は12年に1度のラッキーらしい。





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