topreviews[中西信洋展「Interference」/大阪]
中西信洋展「Interference」

 




くるくるまわっているのは
作品ではなく
見ている観客のほうだ

TEXT ±藤田千彩

DMは、目や足といった人間の部位が、白黒のコマ撮り写真で並べられていた。
とてもこわい、と思った。
そして何をしたいのか、何を言いたいのか、と思った。
その恐怖心で、展示が気になった。

天井の高いギャラリースペースに、見上げるような高さの立体物が点在している。
中西信洋がこれまでマルチプルといてつくってきた「ランタン」のシリーズが、大きいサイズになったようだ。
巨大なランタンで写される画像にはDMでつかわれていた人間の部位、カラーのコマ撮り写真がつかわれている。
マルチプルのランタンは光の熱によってくるくるまわるが、今回の展示はモーターから電力を受けて、くるくるまわっている。
入口から真正面の奥に目、そして左右には手や足、手前(入口)に近付くと髪の毛といった部位の画像が置かれている。

昨年、福岡市美術館で見た《Layer Movie》で、4面スクリーンをつかって巨大な波が押し寄せる映像を見た子どもが泣いていたが、このギャラリーノマルでの展示では私が泣きそうだった。
見開かれた目、ちょっと血色のよい唇と口からもれる歯、にょきっとした足の指。
気持ちいいとか、きれいとか、そういうのが美術で受ける「快感」が、ない。

だけど、怖いと感じて泣きながらでも、見たい、見ていられる、と思ったのはなぜだろう。
ランタン自体、画像や写しだされた画像の位置が私の目線より上、つまり尊敬できるような見上げる位置にあったからかもしれない。
ランタンの光がオレンジ系であたたかみを感じられたからかもしれない。
そして不思議なことに、ランタンの内側にいると、外側から眺めている半分の速度でくるくるまわっているように感じられ、優しい気持ちを抱くように変化していった。

ランタンは、もともと中西がつくっていた《Layer Drawing》の延長でつくられたらしい。
重なりそのものを見ることより、重なりをほどいて連なりで見せることのほうが、スムーズに見ることができる。
しかもこの大きなランタンに写る画像は、コマ撮りのようでまったくつながっておらず、アニメーションではない。
だからこそ鑑賞者自らの中で、重なりを構築することもできるし、違うイマジネーションに操縦することもできる。

映像だけでなくランタンという立体物であることも、重要な意味が含まれていると思う。
《Stripe Drawing》が壁に直接、線を引っ張り描いて展示していたことが、マーケット流行の現代美術界に対して「売ることができないだろう?」という抵抗であったはずだ。
このランタンも、ランタンという立体自体が作品なのか、写しだされた映像が作品なのかという、アート(作品)の定義に対して、反抗している側面だと受け取れるだろう。

ぱっと見だけだと、中西の作品の変化(へんげ)ぶりには驚かされる。
しかしおそらく、表現の自由さを手玉にとっただけに違いない。
見ている私たち観客が、くるくるまわる作品同様、中西の思惑にかきまわされないよ
う、注意しなくてはならないのだ。


中西信洋展「Interference」
2010年5月22日〜6月19日

ギャラリーノマル
(大阪府大阪市)
 
著者のプロフィールや、近況など。

藤田千彩(ふじたちさい)

1974年岡山県生まれ、東京都在住、アート+文章書き。
オシゴトください。→chisaichan@hotmail.com





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