ハル、だから
TEXT 藤田千彩
卒業制作展の時期が終わったと思ったら、アートフェア東京をはじめとするアートフェアが行われ、別府だの越後妻有だの、東京から離れた地でのアートイベントも開かれる。
現代美術を取り囲うイベントがあまりにも嵐のように流れていくため、鑑賞者として同じ視点で作品を見ているのがしんどくなる。
好き嫌いの価値基準で見たらいいのか、評論家がいい悪いというものを見たらいいのか、たくさん宣伝されているものを見たらいいのか。
そういう現在のアートシーン自体が「現代の流れ」を表している、ともいえるのだが。
しかし「売り絵」だったり「サイトスペシフィック」だったり、私と作品そのものが向き合うことができにくくなっている気がする。
向き合っても、お互い会話にならないことも多い。
|
|
|
展示風景
|
いわゆる貸画廊「藍画廊」で見た中谷欣也という作家の作品は、そういう意味で「向き合うことができる」作品だった。
入ったとたん、テントが張ってあるキャンプ場を思った。
その次にサーカスのテント小屋を思い出し、さらに風船のはりつめたゴムの感じ、角を留められた金具に痛い気持ちを想像し、覆われている下にあるものを覗き込む楽しさ、内側の銀色にぎょっとし、覆われている下は箱?なんだろう?といろいろ妄想する。
ひとつの作品を見るだけで、たくさんのことを考える。
自分の経験してきたことや、知っていることを駆使して、勝手に「色からして作家は私より年長だろうな」とは思ったけど、作家が何をしたくてこんなことをするのだろうと悩む。
飽きもせず、じろじろと作品をなめるように見る。
こういった「考えさせられる作品」が最近、ない。
うーん、うーん。
本当はストッキングマニアで覆われることが好きなのかもよ。
そんな変態フェチじゃなくて、絵画や彫刻という問題に対してのアンチテーゼ、まじめに美術について考えてるだけなのかも。
でも不透明な黄色ってどうよ?裏に銀ってすごいセンスだし。
あー、なんだろう、こんなに考えることがまとわりつくなんて。
ドアを閉めて、芳名帳に名前を書いていると気づいた。
「春、だから、張る?」
勝手な解釈で納得した。
でもやっぱりなんなんだろう、と考えることが今でも私を覆っている。 |
|