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《broken
flowers》ベニヤ板、アクリル絵具 2009年 撮影:山口幸一
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欲望と愚かしさと
TEXT 田中由紀子
今年1月に同ギャラリーで開催されたグループ展「EXTRA NUMBER 0901」で印象に残った、手のひらに収まるほど小さな洋服や靴下。よく見ると、それらはお菓子の包み紙でつくられていた。愛嬌のあるテントウムシの絵柄は、外国製のチョコレートの銀紙だろうか。"KISSES"とロゴの入ったリボンは、ハーシーのキスチョコレートに付いているプルタブだ。本来は捨ててしまうような素材でつくられたポップで愛らしい作品をとおして、作家は大量消費により支えられる都市生活をアイロニカルに表現しているのだろうと思った。
そんな思い込みが覆されることになった今展。目玉は、まるで廃屋から剥がしてきたかのような無数の木片を壁に取り付け、一部を床に掃き集めたインスタレーション《broken
flowers》。断片の表面には、擦れて薄くなった部分もあったが、布地の柄によくあるような草花のパターンが繰り返されていた。
どれくらい古いものなのだろうかと考えていると、廃材ではなく新しいベニヤをわざと古い感じにしているのだとギャラリーのオーナーが教えてくれた。模様は布地からトレースして起こした型紙を使ってアクリル絵の具で描き、サンドペーパーをかけているのだと。
庭に新しい小屋を建てては壊すという、中世ヨーロッパの貴族の遊びからこの作品を着想したという碓井。金と時間を持て余していた貴族がやりそうなことだが、我々も日常的に似たようなことをやってはいないだろうか。例えば、新しいジーンズにわざわざ穴を開けて穿いたり、おまけ目当てに食玩を買いまくったり。碓井にしても、たまたま食べたお菓子の包み紙を使って前述の洋服や靴下をつくったというより、包み紙目当てにその商品を買っていると思われる。
こうした贅沢で無駄ともいえる行為は愚かしくもあるが、一概に咎めることはできまい。贅沢や無駄を排除して地球環境に配慮していこうとするエコロジーの取り組みでさえ、追求すればするほど一種の愚かしさを孕んでしまう場合もあるのだから。一見、不毛な行為の集積にも見える《broken
flowers》は、そのことを私たちに伝えているように思えた。 |
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