topreviews[ワタラセアートプロジェクト 2008/まちアートプロジェクト−越谷2008−/群馬・栃木・埼玉]
ワタラセアートプロジェクト 2008/まちアートプロジェクト−越谷2008−

若さとアートが地域にもたらすもの

TEXT 横永匡史

近年、街なかで行われるアートプロジェクトが増えてきている。
それは、街なかというロケーションならではの表現を獲得したり、アートをまちづくりにつなげようとするなど、単に街の中の美術館やギャラリーではない場所で作品を展示する、ということにとどまらず、新たな効果を生み出すことを目指すものだ。
一口にアートプロジェクトと言っても、運営形態は様々だが、その中で今回は、学生の作家主導によって行われている2つのアートプロジェクト紹介したい。学生主体であること、今年で3回目の開催となることなど、いくつかの共通点を持つこの2つのプロジェクトではあるが、その内容は実に対照的だ。この2つのプロジェクトを通して、街なかで行われるアートプロジェクトと、そこから派生するコミュニケーションのあり方について考えてみたい。

相違を価値として提示すること
〜ワタラセアートプロジェクト2008


まずは、今年もわたらせ渓谷鐵道沿線各地を会場として開催されたワタラセアートプロジェクト(以下「WAP」)である。
昨年のWAPについては、筆者がレビューしたので、そちらを参照していただきたいが、このプロジェクトは、東京藝術大学の学生を核として、都内の美大生たちが、群馬県桐生市と栃木県日光市(旧足尾町)とを結ぶわたらせ渓谷鐵道の沿線に作品を展示するプロジェクトである。
今回も、約30名の学生が参加し、大間々、花輪、足尾などの各駅周辺に作品が展示された。

昨年のWAPのレビューでも触れたことだが、WAPの特徴は、それぞれの作家の表現したいことを第一としてプロジェクトが構築されていることだろう。出展する作家が参画して実行委員会を組織し、プロジェクトの企画から会場の確保、周辺各所との交渉までのほとんどを自分たちで行っている。このことにより、作家の主体性が確保され、自分の表現したいことをやるための環境ができあがっているのだ。

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a.大間々 銭湯 千代乃湯 外観 b.皆川俊平《山景、渦巻く泉の中空に、花が咲く》 c.鎮目紋子 作品展示風景 d.鎮目紋子 作品展示風景


そして、WAPを語る上で欠かせないのは、作家たちと地域との間にある距離感であろう。WAPにおいては、作家たちと地域との間には、一定の距離感を感じるのだ。
それには、学生ゆえに学校やアルバイトなどの関係で頻繁に東京に帰らなければならない、という学生ならではの事情もある。その点で、作家が継続して制作をし続ける一般的なアーティスト・イン・レジデンスとは性格を異にする。
こう書くとネガティブに聞こえるかもしれないが、むしろWAPにおいて作家たちは、その距離感を持ち味として前面に打ち出している節がある。地域に馴染んで同化しようというよりも、よそ者としての地域との距離感を積極的に表現の中に取り入れているように感じるのだ。
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  e.プロジェクトにあわせてデザインされた列車内のテーブル
特に、銭湯の中の富士山の壁画の上に渡良瀬の景色を描いた皆川俊平や、地元の子どもとの合作で空き家となった社宅の壁に街の絵を描いた鎮目紋子など、初期からこのプロジェクトに関わっている作家たちには、そうした傾向を色濃く感じさせる。作品以外でも、例えば期間中に行われた列車内のテーブルのデコレートなども、都会的で若々しいテイストを感じさせ、車窓の風景や周囲の雰囲気に調和しているとはいい難い。しかし、周囲に合わせるというよりも、都市生活者としての価値観、若さ、美術作家としての感覚など、地元の人々が持たないこれらの要素を持ち込み、地元にもとからある要素との差異に価値を見出しているように感じられるのだ。

そこには当然のことながら、摩擦も生じる。実際、地元の人々の反発等によって展示に至らなかった作品もあるのだという。
また、WAPのワークショップの一環として開催された、現代美術について語り合うトークセッションの中でも、地元の人々から、「作品が理解できない」「自己満足に過ぎないのではないか」といった趣旨の意見も寄せられた。

だが、そういった摩擦の中にこそ、WAPの魅力があるのではなのではないかと感じている。
わたらせ渓谷鐵道は、足尾銅山の閉山やモータリゼーションの発達、深刻化する過疎化など、社会の変化の荒波に翻弄され、地域のアイデンティティをなかなか確立できない地域である。作家たちも、地元の人々からしばしば「ここは何もないところだから・・・」といった言葉を聞かされてきたという。
しかし作家たちにとっては、都会の普段の生活では味わうことができない多くの魅力にあふれたところであり、そうした魅力に触れた驚きや喜びがそれぞれの作品の基盤となっている。地元の人々が気付いていなかったりマイナスにしか感じていない要素も、都会からやってきたWAPの作家たちにとっては魅力として感じられるものもたくさんある。そして、そうした魅力を表現した作品を観ることによって、地元の人々も、自分たちの住む地域を別の視点からとらえ、新たな魅力を見出すことにつながるのだ。その意味で、このわたらせ渓谷鐵道沿線各地でWAPが開催されることには意義があるのではないだろうか。

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f.Gallery シャディ 外観 g.Gallery シャディ 展示風景 h.Gallery シャディ 展示風景 i.(右端)上原和美《ぼくら》(それ以外)地元の子どもたちが制作した“ぼくら”


また、そうした意識のギャップもある一方で、地元の人々とのコミュニケーションの進展を伺わせるものもあった。
それを象徴するものが、今回のWAPの代表も務める上原和美の展示だろう。
上原は、大学では美術理論を専攻しており、普段は作品制作は行わないが、今回は、足尾の街中の空き店舗を改装したギャラリーに展示を行った。
ギャラリーに入ると、壁に大小さまざまな写真が展示されているが、いずれも見慣れない動物のようなフィギュアが写っていることに気づく。
上原は、この「ぼくら」と名づけたフィギュアを地元の人々に一晩貸し出して「ぼくら」の写真を撮ってもらい、それらの写真を足尾の街なかにある空き店舗に展示した。
写真によっては、歯医者で治療されていたり、フライパンのうえで調理されていたり、といったユーモラスなものから、素人が撮ったとは思えないような写真などバラエティに富んでいる。
また、「ぼくら」が家にやってきた子どもなどが、紙粘土で「ぼくら」を作ったりするなど、地元の人々にも親しまれたようだ。
地域のコミュニティにある日突然異物として入ってくる「ぼくら」は、最初は違和感を持たれつつも、徐々に受け入れられ、親しまれていき、そして地域の景色をも徐々に変えていく。それはまさに、上原をはじめとしたWAPに集う作家たち、ひいてはWAPそのものの姿のように思える。

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j.小野真澄 作品展示風景 k.渡良瀬Camping Train 外観 l.渡良瀬Camping Train 内部 m.渡良瀬Camping Trainに併設されたカフェ


また、今年からWAPに参加した小野真澄は、花輪駅の近くにある旧今泉嘉一郎邸の蔵の壁を、地元の人々から集めたTシャツで覆った。
かつては宿場町として栄えた花輪の街も、国道から外れ、わたらせ渓谷鐵道が走らせるトロッコ列車も通過することもあり、訪れる人は少ない。
しかし、そんな中でも力強く生きる人々の絆の強さを見せられたように思い、胸が熱くなった。

その他、花輪で地元の子どもたちを対象に1週間にわたって行われたワークショップや、足尾駅のCamping Train及び併設するカフェのリノベーション、離れた会場への送迎などへの地元の人々の協力など、地元の人々とのコミュニケーションが深まってきていることを実感させられるとともに、そのことにより、プロジェクトとしての新たな魅力が加味されてきたように思う。

ただその一方で、昨年のレビューでも触れたが、刺激やいい意味での毒は薄まってきているように感じる。
おそらくはそうした部分を担っていたと思われる、ゲストとして天空揺籃を迎えた舞踏パフォーマンスを見ることができなかったのは残念だったが、たとえそうであっても、刺激や毒といった要素が学生を中心としたプロジェクトのメンバーの作品から薄れてきていることには、少々の物足りなさを覚えた。
プロジェクトのメンバーのような若者が渡良瀬のような土地を訪れ、自分たちが普段身を置く都市部とはまるで異なる環境に触れたとき、そこに魅力を感じたとはいっても、受ける印象はポジティブなものだけではありえないはずだ。環境の差異からくる戸惑い苛立ちは当然あってしかるべきだろう。
今年のWAPは、そうしたある意味ネガティブな部分を表現した作品が減っているように感じた。それは、昨年までからメンバーが一部入れ替わっていることもあるだろう。しかし、思い過ごしかもしれないが、地元の人々とのコミュニケーションが進展することにより、逆にどこか突き抜けるような冒険がしにくくなっているように思われた。

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n.赤倉 旧マルサン食堂 外観 o.北田アキシゲ・皆川俊平・田村未央《鳳凰の間》


そんな中、本山にある精錬所を臨む旧マルサン食堂で展示された《鳳凰の間》にはワクワクさせられた。これは、今回、北田明茂、皆川俊平、田村未央の3名は、この元食堂の壁一面に、鳳凰の壁画を描いた。
もともとは、この食堂の所有者から、かつて食堂の壁に鳳凰が描かれていた、と言う話を聞いたことがきっかけだ。しかし、地元の他の人は誰もそのことも知らず、記録も残っていない。そもそもここに本当に鳳凰の壁画があったのかも疑わしい。
それでも3人は鳳凰の壁画を描いた。自分たちが聞いたかつての鳳凰の壁画の話を、鳳凰という人々の想像上にのみ住まう鳥の存在、そして銅山操業当時の栄華を想像することしかできない現在の状況を重ね合わせたのだという。
3人は、食堂の板張りの壁一面に壁土を塗り、そこに思い思いに鳳凰を描いていった。
ドローイングやコラージュなど、技法も様々であり、3人の個性がぶつかり合っているような感がある。その想像力は、かつての食堂の、ひいては銅山の繁栄の残り香を感じさせるとともに、まだ見ぬ未来へ向けて広がっていくようにも感じさせた。

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ワタラセアートプロジェクト 2008
2008年8月10日〜8月31日

わたらせ渓谷鐵道沿線各所(群馬県桐生市・群馬県みどり市・栃木県日光市足尾町)
まちアートプロジェクト−越谷2008−
2008年10月26日〜12月1日

埼玉県越谷市各所

関連リンク
WATARASE Art Project 2007
とがびアートプロジェクト2006
 
著者プロフィールや、近況など。

横永匡史(よこながただし)

1972年栃木県生まれ。
2002年の「とかち国際現代アート展『デメーテル』」を見て現代美術に興味を持つ。
現在は、故郷で働きながら、合間を見て美術館やギャラリーに通う日々。




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