やぎに重ねて描かれる作家自身
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田中由紀子
「日本画の技法で、かわいらしいやぎを描く画家」。作品を見る前、私は平松絵美についてそう思っていた。しかしそれは間違いではないが、正確とはいえない。なぜなら彼女が描くのは、やぎであってやぎでないからだ。
まず展示室に足を踏み入れると、絵画のほかに床置きされた立体やアニメーションもあり、展示室全体はおもちゃ箱をひっくり返したかのようだった。平松の個展はひとつのストーリーで展開されており、さらに前の個展の話が次の個展につながっていくという。前々回の個展「やぎがやぎに会いにいく話」で歩いても歩いてもやぎに会えず崖まで来たやぎが、前回の個展「やぎの空」では崖から気球に乗り込み、今展では気球が地上に降りてくるところから始まっている。
気球に乗ったやぎが描かれた絵画数点が、壁の高い位置から低い位置へと順に並べられた展示は、見る人の目を高い位置から低い位置へと動かすことにより、実際にやぎが空から降りてきたかのような現実感を覚えさせる。そしてその視線の先には、人工芝に紙粘土製の小さなやぎの立体や積み木が置かれた、やぎが降り立った地上の世界がジオラマのように床に広がっている。そこには茶色の大きな川が流れているが、壁の絵画を見上げるとやぎがトロトロに溶けたチョコレートを壺から地面に流しており、そこから立体の茶色の川がチョコレートの川だとわかる。さらにアニメーションでは、やぎがガラスのビンにお菓子を次々に投げ入れ、満足そうに蓋をするといった、やぎの日常を描いた補助的なストーリーが展開される。
やぎを描くことについて「自分を重ねて描いている」という平松。目的地にたどり着けず崖っぷちに立ったり、空から広い視野で見渡したりするやぎは、確かにその時その時の平松の姿なのかもしれない。しかし彼女の描くやぎのファンが少なくないのは、その姿が日本画らしからぬ脱力系のかわいらしさをもつからだけでなく、見る者もやぎの中に自分自身を見るからだろう。そして我々がやぎに自分を重ねることができるのは、見る人の目の動きを誘う展示のしかたや、絵画や立体、アニメーションと様々な媒体による重層的な展開により、フィクションであるはずのやぎの世界が現実感を帯びてくるからだろう。
さて、今展の最後でチョコレートにおぼれていたやぎ。次の個展ではどんなストーリーを見せてくれるだろうか。
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会場風景
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やぎのチョコレート F20 雲肌麻紙に岩絵の具 2007年
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