私は25、6歳のころ、「人生ってゲームじゃないか、人生ゲームってすばらしい」と思っていた。
ルーレットを回して、出た数だけ進む、ただそれだけなのに、就職や結婚、事件やトラブルなどにぶち当たってしまう。
現実だってそうだ。
たんたんとしている日々のはずなのに、必ず毎日ニュースにのぼることが起こる。
自分がニュースに出なくても、自分にとってのニュースは毎日ある。
ギャラリーアートフェチ(gallery art-feti)のドアを開けると、そんな人生ゲームが待っていた。
伊藤文の作品である。
靴を脱ぐなり、「就職ですか?アーティストですか?」と聞かれた。
私は大学を卒業して就職した人間なので、アーティストを選んだ。
一緒に行ったアーティストの友人は逆だった。
アートフェチは、2004年に名古屋造形芸術大学の卒業生が立ち上げたスペースだ。
3年の間に、場所を幾度か変えたり、メンバーも変わったりした。
ちょっとした人生の波も越えたに違いない、伊藤はきっと25歳前後くらいだろう。
人生ゲームを作品に取り込もうとするのも分かる。
さいころを振りながら、歩を進める。(a)
床にある指示に「伊藤正人の作品を眺める」というものがあった。
PEELERで「blank」を連載中のlight
noteの一人、伊藤正人。
文章を用いた作品の伊藤は、和紙のような薄い紙に書き連ねた文章を重ね、アクリル板ではさんである。
それを柱の一つに組み込み、紙から透けて見える文字列が山のように見える。(b)
コマに止まらないと作品を眺めるチャンスを失う。
私はそのあとしばらく「作品を見る」コマに止まらなかった。
壁には深尾通子のもこもこした赤いじゅうたんのような半立体作品。(画像c)
伊藤正人と一緒にlight noteとして活動する吉田知古の、稲を撮影した写真。(画像d)
さいころを振ることに夢中になっていたり、「おかしをもらう」のコマでお菓子選びに夢中だったりすると、
作品鑑賞もままならないんじゃないかと心配になってみた。
作品が売れたとかのコマでもらったお菓子をたくさんかごに入れて、1階を後にする。
今回の展示は4階まで続くそうだ。
階段にもコマがある。(e)
自分の選んだ職業で奇数が出たらお菓子5個、みたいな指示があるのだ。
2階は人生ゲームだけだった。(f)
が、最後に加藤徳治の作品があったが、「瓶に入った白いボール」みたいな感じにしかとらえることができず、場所も不自然すぎてよく分からなかった。
しかし・・・。
またさいころを振りながら階段を昇っていくと、次は真っ暗な3階。
むいたみかんが水の入った瓶に漬けられた加藤の作品は、暗闇の中でぼんやりと照らされて浮き上がり、かなりホラー。(g)
下にあった「瓶に入った白いボール」も同じものだったっけ、と思い出そうとするが、人生ゲームは振り返ることを許されない。
そこで数回さいころを振っていると、先にゴールした友達が下りてきた。
「私、無職になった!」彼女は手ぶらだった。
私のカゴみたいにお菓子がてんこ盛りだったはずなのに。
そういうこともあるのか!と衝撃を受けながら、コマを進める。
私は、最後の3階から4階に昇る階段で、職業が変わった。
そして、最後に出た目でお菓子がすべて没収された。
ガーン。
しかし、目の前で流れていた近藤サヨコのアニメーションは幸せそうだった。(h)
「フランダースの犬」のネロのように、最後の最後はこうやって作品を見て人生を終わるんだ・・・と思った瞬間だった。
とぼとぼ1階まで戻ると、もう一人の友人は、袋にたくさんお菓子を詰めてもらっているところだった。
お菓子をもらえなかった悲しさでくじけていると、高須健市の作品である一枚のカードを渡された。
「家に帰ったらこの指示通りにしてください」
カードの指示は「インターネットで●●をしてください」というようなコメントが書かれていた。(i)
「半分くらいの方は無職で終わるんですけどね」と、人生ゲームの作品の作者である伊藤文は教えてくれた。
それは計算しているはずもないが、あたかも現代社会を映し出しているようで怖かった。
以下、個人的意見だが、名古屋のアートシーンは定期的に新しいモノが生まれる気がする。
キワマリ荘に続いて、10年近く前にN-markとdot、そして3年目を迎えるアートフェチ。
集団はメリットばかりではないが、若さを武器に切磋琢磨するようにも見える。
先人たちが築いたジャンル、気づいた見せ方をきちんと学習し、新しい作品を作り出そうとするアートフェチの活動が、なるべく長く続くことを祈りたい。
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